日本と韓国は「一衣帯水」――の意味
不純愛トーク 第303夜
日本の社会で、明治以降、もっとも根強い「差別」として残っている「朝鮮人差別」。その根底には、太古以来の歴史的因縁があるのではないか。今回は、「天孫降臨」以来、日本列島と朝鮮半島の間で何が起こって来たのか――を、歴史をひも解いて解説してみます――。
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AKI 日本という国は、朝鮮半島経由でやってきた北方騎馬民族に征服されて出来上がった国である。前回は、そういう話をしたんですよね。
哲雄 そういう説があり、私自身もその説のほうが説得力がある――と申し上げました。そうでないと、この国の神々が「国津神」と「天津神」に分かれていることも、日本人の顔立ちに2つの系統があることも、説明がつかないように思います。
AKI 顔立ちのほうは、あれですか? 新モンゴロイドか、旧モンゴロイドか――で違ってくるんですか?
哲雄 ちょっと、下の絵と写真を見てください。元々、この日本列島に住み着いていたのは、旧モンゴロイドのほうなんですが、全体的に目鼻立ちがくっきりしています。いまでも、薩摩以南の南西諸島とか、北のアイヌとかには、こういう顔立ちが残っていると思います。

AKI なんか……「旧モンゴロイド」のほうが美形……。
哲雄 そうですね。沖縄からたくさん女優が出ているのも、それが理由かもしれません。それに対して「新モンゴロイド」のほうは、寒冷地に適した顔立ちをしています。凍結の危険を防ぐために、目とか口という開口部は小さくなり、鼻も低く、小さくなっています。ま、あまり「美形」とは言えないかもしれませんねェ。
AKI 私も、「旧」の血を引いてればよかった……。

哲雄 十分に引いてるんじゃないですか。「新モンゴロイド」と「旧モンゴロイド」は、その後、混血を繰り返して、いまの日本人の顔型や体形ができ上がっていったと思われます。AKIクンは目もクッキリしてるし、「旧」の血がかなり濃く受け継がれているに違いない――と、私は思っておりますよ。
AKI それは、どうも(ポッ…)。で、もうひとつの「国津神」と「天津神」のほうは?
哲雄 「天津神」のほうは、「天照大御神(あまてらすおおみのかみ)」由来の神様。高天原に天から降臨したので、「天津神」と言われています。歴代の天皇は、この「天津神」の列に加えられます。
AKI じゃ、「国津神」っていうのは、土着の神様?
哲雄 その土地に元からいた神様っていう意味だね。その代表が、出雲の「大国主命(おおくにぬしのみこと)」。「天津神」と「国津神」は、後世、婚姻などによって結ばれていくんだけど、たぶん、それは、征服者である騎馬民族が、土着の民を支配下に収めていった経過を物語っているのではないか――とも考えられるわけです。
AKI てことはですよ、哲ジイ。日本の天皇は、元は、渡来系だったってこと?
哲雄 「騎馬民族征服説」をとると、そういうことになります。では、その騎馬民族は、どこから日本にやって来たのか?
AKI 朝鮮半島を経由して――ってことでしたよね、前回の話では?
哲雄 もちろん、朝鮮半島を経由しないと、日本まではやって来られないよね。でも、一気に半島を南下して、海を渡ったわけじゃない。いったんは半島南部に住み着いて、国を形成するんだけど、それが、新羅、百済、任那の南朝鮮の三国。おそらく、日本に渡ってきたのは、そのうち、任那あたりにいた人たちではないか――と言われてます。
AKI エッ!? てことは、あれですか? 日本が朝鮮半島に進出して、植民地として「任那」を建国したんじゃなくて……?
哲雄 「騎馬民族征服説」では、逆じゃないか――とも言われてます。つまり、元々あった南朝鮮の「任那」が日本列島に進出して、大和の政権を打ち立てたんじゃないか。
AKI その「任那」って、どこらへんにあったんですか?
哲雄 朝鮮半島の最南端。いまの釜山などが含まれる一帯です。任那と連盟関係にあった百済は、その西側、いまの全羅道あたりを拠点にする国でした。その百済=任那連合は、唐=新羅の連合軍に圧迫されて、結局は、滅亡してしまうのですが、何としても、それを防ぎたい大和政権下の倭国は……。
AKI あ、それ、知ってる! 「白村江の戦い」ですよね。確か……そのときは、中大兄皇子が……。
哲雄 そうです。私たちの頃の教科書には、百済を助けるために援軍を送った――みたいな書き方をしてましたが、どうもこれ、「援けにいった」というレベルの話じゃない。なにしろ、三波に分けて送り込んだ兵力は5万人弱。船舶も1000艘に及んだ、と伝えられています。当時の倭国の国力からすると、これは、国の総力を挙げての戦い――というレベルだと思います。
AKI 一大決戦だったんですね。
哲雄 結局、倭国はこの戦いに大敗北を喫して、残った船に百済の高官たちなども乗せて、命からがら、逃げ帰ってくるんですよね。当時の、権力者たちは、勢いに乗った唐=新羅連合軍が、列島に攻め入ってくるかもしれない――と脅えたんでしょうね。
AKI 何かやったんですか?
哲雄 上陸が予想される北部九州、筑紫の地に要塞を築いたりしました。大宰府の手前に「水城」という地名があるんですがね、これがまた、とてつもなくビッグな防衛構想で……。
AKI エッ、どんな?
哲雄 これ、恋愛にはあんまり関係ない話なんだけど。
AKI もう、関係ない話になっちゃってるじゃないですか?
哲雄 じゃ……ま、ちょっとだけ。「水城」っていうのはダムです。
AKI エッ……ダ、ダム?
哲雄 ええ、川をせき止めてダムを造り、唐=新羅軍が上陸してきたら、一気にダムを決壊させて、上陸軍を水攻めにしようとしたわけです。
AKI スゴーィ! まるで、映画みたいな話。それで? どうなったんです、その作戦は?
哲雄 結局、唐=新羅軍は、やって来ませんでした。
AKI なんだ、つまんない。
哲雄 つまんない――って、そんな大軍がやってきたら、九州は占領されてたかもしれないんですよ。そのとき作られた堤防は、いまでも筑紫平野の真ん中に、「水城跡」として残されてます。さて、話を元に戻しますが、日韓の間には、そういう太古からの因縁があるってことなんですね。そして、私は思うんですが……。
AKI ハイ、何でしょう?
哲雄 どうも、日本人のDNAの中には、自分たちのルーツである南朝鮮に対する特別の感情があるんじゃないか――ってね。
AKI 特別の感情……? 懐かしい――とかですか?
哲雄 それもあるかもしれない。あるいは、自分たちを追い出した南朝鮮の地に対する恨みもあるかもしれない。いつか、その地を取り戻したいという思いも、陰々と受け継がれてきたかもしれない。日韓の間では、よく、「一衣帯水」という言葉が使われますが……。
AKI 何ですか、それ? なんか……エッチな響きの言葉だけど……。
哲雄 考えすぎでしょ。この言葉は、日本と韓国のように、狭い海峡などで隔てられた、きわめて近い隣国の関係を表す言葉です。「私たちは、帯のような川や海で隔てられてはいるけど、一枚の衣服のような関係だ」という意味で使われるんですね。もし、「騎馬民族征服説」をとるなら、「ようだ」じゃなくて、まさに、元は「一枚の衣服だった」になるんじゃないかと思います。
AKI つまり、南朝鮮と日本は、元は、同一の民族だったのではないか――ということですね。
哲雄 だから、おたがいに相手に干渉したがるというメンタリティも存在するのかもしれません。ときには、それが不幸な憎悪を生むこともある。次回は、その話をしてみたいと思います。
AKI ファーイ。では、私は帰って「一衣帯水」します。
哲雄 ハ……? 何、それ?
AKI バスローブですよ。
哲雄 全然、わかってない、この子。


2012年11月リリース
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