ローズマリーの詩〈23〉 写真一枚残ってない男のこと

コーヒーと女彼女の部屋には、かつて愛したはずの
男の写真が、一枚も残されていなかった。


千里さんが私を家に招待してくれた。いい肉を
もらったから、一緒に「すき焼き」しようと言うのだ。
かつて、おじが愛したひとの部屋。しかし、その人は、
おじの顔が思い出せないと言う…。



 小説/ローズマリーの詩 ――― 第23章 
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この話は連載23回目です。最初から読みたい方は⇒こちらから、
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ここまでのあらすじ 離れのおじの部屋から聞こえてくる『スカボロー・フェア』という曲。その歌には、パセリとセージとローズマリーとタイム、4種のハーブが登場する。おじは、その歌を歌いながら、かつての恋人に想いを馳せているように見えた。私にもかつて、尊敬し、愛した男がいた。鳴尾聡史。アフリカで、飢えた子どもたちを救うボランティア活動に従事する男。しかし、私は、「一緒にアフリカに行かないか?」という彼の誘いに首を振った。勇気がなかったからだ。私は就職して、そこで巡り合った男がささやく「ふつうの幸せ」という言葉に揺らいだ。結婚の約束までしたが、しかし、彼が押し付けてくる「ふつうの幸せ」という形に耐えられなくなって、その結婚をドタキャンした。そんな私とおじは、母には「我が家の厄介者」だった。その厄介者のおじを、ある日、尾崎さんという古い友人が訪ねてきて、「オウ、こないだ、彼女に会ったゾ」と口にした。おじのかつての彼女は、草野駅の前でハーブ・パンを焼いて売っているという。興味を覚えた私は、ある日、草野駅まで行ってみた。その人・真坂千里さんの店は、「千の丘」といった。その店名は、『七つの水仙』という曲からとったという。そして、その歌をかつて彼女に歌って聞かせたのは、どうやら、おじらしかった。そんなある日、一通のエアメールが届いた。鳴尾聡史が内乱に巻き込まれて負傷し、帰国するという。会うべきか、会わざるべきか? 迷っている私をおじのひと言が後押しした。「命短し、恋せよ乙女かぁ。後悔するなよ、沙世ちゃん」。千里さんは、こう言った。「会って後悔するかもしれない。会わないと、もっと後悔するかもしれない。私だったら、会って後悔するほうを選ぶ」。私は聡史との再会を決意した。5年ぶりに会った聡史は、精悍さを失ったように見えた。銃撃にすくんだ自分は、「もう、アフリカには戻れないかもしれない」と言う。沈み込む聡史に、私は「お帰りなさい」のキスをした。「もし、千里さんが会いたいって言ったら、おじさんも会う?」。私の質問に、おじは「エッ、どうしてキミが…?」という顔をする。私は、おじに食べさせたパンが千里さんが焼いたパンであることを告白し、千里さんがいまもひとりでいることを伝えた。千里さんにも告白した。「私は、牧原哲司の姪なんです」。私の告白に目を丸くした千里さんだったが、おじが後悔していることを告げると、「残念ながら、彼と別れた理由は、あなたのおじさんが想像しているようなものじゃない」と言った。家に帰ると、おじがうれしそうな顔で言う。「パセリとセージとローズマリーとタイムは、昔は、避妊薬として使われていたらしい」という話だった。私と聡史は、会えば体を重ね合う関係になった。しかし、ひとつだけ不安があった。聡史が避妊しないことだった。そんなある日、私は千里さんから「家に来ない?」とお誘いを受けて――。




 千里さんの「千の丘」が入っているビルは、1階が店舗、2階が事務所、3階から上が住居という「下駄ばき住宅」になっていた。
 千里さんの部屋は、その7階にあった。
 南向きの2LDK。余計な装飾物をいっさい置かず、端正にまとめられた部屋。でも、部屋の中に、ひとつだけ、私の目を引くものがあった。
 LDKの中央にデンと据えられたダイニング・テーブル。その上に、ビンに植えられた緑の葉がいくつか並んでいる。そういうビンが、部屋の壁に取り付けた棚にも、ズラッと並んでいた。
 「ワァーッ! これ、ハーブですか?」
 「そうよ。テーブルの上にあるのが、パセリとセージとタイムと、もうひとつがオレガノ……だったかな」
 「あれ!? ローズマリーがない……」
 「あ、それは、壁の棚に並んでるわ。よく使うものをテーブルの上に並べてあるの」
 「これ、全部、食べられるんですか?」
 「そうよ。食べもしないものを飾ったりはしないわ」
 「じゃ、お店のパンに使うハーブも、ここから?」
 「ここにあるのも使うし、大量に使うものは、ベランダのプランターにも植えてあるのよ」
 言いながら、千里さんは冷凍庫から発砲スチロールの箱を取り出した。
 「お友だちが、松阪牛を送ってくれたの。すき焼き用のいい肉よ。これで、今夜はすき焼きにしましょう」
 「いいんですか、そんないい肉を?」
 「いい肉だからよ。それにね、すき焼きなんて、ひとりで作って食べてもおいしくないでしょ? 相棒を探してたの」
 「相棒? すき焼きのための相棒……?」
 「そうよ。すき焼きを一緒に食べる相棒なんて、だれでもいいってものじゃないのよ」
 「他に候補者はいないんですか? たとえば……」
 「男ならいないわ。訊きたかったのは、そういうことでしょ?」
 図星だった。

        

 千里さんが材料を下ごしらえしている間、私は、テーブルにコンロをセッティングして、食器を並べるのを手伝った。
 「ごめんなさいね、お客さんに働かせちゃって」
 「いえ。わたし、お客さんのつもりで来たんじゃないので、どんどん言いつけてください。けっこう、動いてるの好きだし……」
 「じゃ、お願いしちゃおうかな。そこのワイン・ラックから好きなのを選んで、コルクを抜いてくださる?」
 「エッ……とォ、肉だと……やっぱり赤ですよね」
 「そうね。赤にしよっか」
 不思議な感覚だった。
 つい、1か月前に会ったばかりの人とは思えないほど、私は千里さんになついてる。

 どうして……?
 もしかして、おじがかつて愛したひとだから?
 もしかしたら、親戚になってたかもしれない人だから……?

 大皿に切り分けた白菜とネギを並べ、豆腐とシラタキを並べている千里さんの背中を見ながら、私は、なかなか抜けないコルクの栓と格闘した。
 腕の力だけでは抜けないので、ビンを股に挟んで、渾身の力で、オープナーを引っ張った。
 チラ……と振り返った千里さんが、「あら」と声を挙げ、それからクスッと笑った。
 「コルク、乾いちゃったのかもね。ちょっと貸して」
 「だ、大丈夫です」
 なんだ、ワインのコルクも抜けないのか――なんて思われたくなかったので、ムキになって引っ張ると、コルクはボロッと崩れて、上半分だけがちぎれてしまった。
 それを見ていた千里さんが、菜箸を持ってやって来て、ボトルの口に残ったコルクを上から突いて、残ったコルクをビンの中に突き落としてしまった。
 「ちょっと、コルクのカスが混じっちゃうかもしれないけど、いいよね」
 と言って、片目をつぶる。
 けっこう、乱暴な人なんだ――と思って、ちょっと安心しした。

        

 コルクのカス入りのワインで乾杯して、カセットコンロの上で熱したすき焼き鍋に肉を並べると、ジュッとおいしい音がして、部屋の中にはたちまち、上等な肉の焼ける匂いが充満した。
 女ふたりのちょっぴりぜいたくな食卓。そして、妙に安心できる、千里さんとの時間。ここにもうひとりいたら――という想像が、頭の中を駆け巡った。
 「あなたのおじさんも、料理してくれるの?」
 「ええ。こないだは、ブリ大根、作ってました」
 「おいしかった?」
 「とても。こういうのは、煮たその日じゃなくて、ひと晩置いて、冷ましてから火を入れたほうがおいしいんだとか言って、すぐには食べさせてもらえなかったんですよ。能書きが多いんです、あのおじさん」
 「牧原さんらしいわ。昔から、能書きの多い人だった……」
 「それ、理屈っぽいってことですか?」
 「そうも言うわね。でもね、顔が思い出せないの」
 「エッ!?」と、私は思わず声に出した。
 「どんな顔してたったけ――って、こないだから考えてるんだけど、浮かんでこないのよ。あなたに似てる?」
 「目元とかが似てるって言われるんだけど、自分ではよくわからないんです。あの……写真とか残ってないんですか?」
 「ないわ。一枚も……」
 ちょっとだけ、ショックだった。
 つき合っていたのに、写真が一枚も残ってない関係――というのが、私には想像できなかった。でも、ちょっと新鮮でもあった。
 「いまみたいに、携帯で写真が撮れるなんていう時代じゃなかったしね。それに、写真撮られるの、あんまり好きじゃなかったし……」
 そう言えば、おじからも、写真を見せてもらったことがない。
 「これ、元カレ」なんて簡単に見せ合うことのできるいまの時代からは、想像もできないこと。しかし、そんな時代のふたりの想いがいまだにどこかでつながってて、写真やメールを簡単に残せるいまの時代のほうが、関係が長続きしない。それが、少し不思議でもあった。
 「今度、こっそり撮って、写メでもしましょうか?」
 「いまの写真を?」
 「ハイ。冴えないいまの姿を……」
 「冴えないの? いまの牧原さんは?」
 「あ……でも、なかなかしぶいおじさんではある――と思いますよ。姪の目から見てですけど……」
 「フーン……」と言いながら、千里さんは、焼けた肉を私の皿に取り分けてくれた。
 「もう、ほとんど火が通ってると思うわ。どんどん食べてね。あ、やっぱり、卵あったほうがいいよね」
 冷蔵庫に卵を取りに行きながら、「しぶいおじさんかぁ」と、千里さんがつぶやいた。
 いまのおじに会わせたら、もしかしたら、千里さんを失望させてしまうことになるだろうか……?
 それが、少し不安でもあった。
 ⇒続きを読む

 参考  この小説に出てくる楽曲と映画は、こちらから

本作品中に登場する曲「スカボロー・フェア」は、サイモンとガーファンクルの『パセリ・セージ・ローズマリー&タイム』に、「七つの水仙」はザ・ブラザーズ・フォーの『グレイティスト・ヒット』に収録。登場する映画『卒業』は、DVD版とBlue Ray版が販売されていて、いずれも、アマゾンより購入できます。興味のある方は、ぜひ、ご覧になってみてください。

      




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