人類は、なぜ、「肛門性交」を好むようになったのか?

エッチに肛門を使う文化。実はこれ、ギリシャ以来の
伝統らしいのです。その理由を探ってみました。
性とエッチの《雑学》file.122 R15
このシリーズは真面目に「性」を取り上げるシリーズです。15歳未満の方はご退出ください。
【今回のキーワード】 ソドミー アナル・セックス

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快楽のために、肛門を使って性行為を楽しもうとする人たちがいます。
決して「少数派」ではないだろうと思います。
指でくすぐったり、その指をちょっとだけ肛門の入り口に潜り込ませる――程度であれば、だれでも、多かれ少なかれ、したりされたりしたことがあるのではないでしょうか?
しかし、中には、そこに性器を挿入しようとしたり、指をその根元近くまで挿入しようとしたり、ディルド(男性器の形をした性具)を挿入しようとしたりする人たちもいます。
何のために……?
もちろん、気持ちがいいから――です。
しかし、ほんとに、そこは気持ちがいいのでしょうか?
まずは、そのあたりから「真相」を究明してみようと思います。
「肛門」は、ほんとうに気持ちがいいのか?
ご存じのとおり、「肛門」は「排便」のための器官です。
エッチのために作られた器官ではありませんから、そこに快感のための仕組みが備わっているとは思えないのですが、ただ、そこは、神経が集中している場所でもあります。
便がちゃんと排泄されているか? それは、硬いか、軟らかいか? どれくらいの量が出たか?――などを感知するためのセンサーが、密に配置されています。
あ、いま、便の中にスイカの種が混じってた――なんてことも、ちゃんと感知できるわけですね。優秀っちゃあ、優秀。敏感っちゃあ、敏感なヤツです。
敏感なので、そこを指先などサワッ……と撫でられたりすると、筆者などは背中がゾクッ……となります。
オイルを塗られて、ツツーッとなぞられたりした日には、つい、腰が浮いてしまったりなんかします。
性感マッサージとかメンズ・エステとかのサービスでは、必ずコースの中に取り入れられているサービス……らしいですよ、私は知りませんけどね(
)。
この気持ちよさは、人によるかもしれませんが、肛門の外側だけでなく、肛門入口近くの内壁あたりでも感じるようです。
それにしても……です。みなさん、不思議ではありませんか?
性器でもない肛門周囲が、なぜ、そんなに気持ちいいのか?
以下は、私の推理なのですが、「排便」を「苦痛」だ――などと感じさせてしまっては、みんな便をガマンして「便秘」になってしまいますよね。
なので、「排便」を「快感」であると感じさせるように、神経の配線も工夫されているのではないか。私は、そう思うのです。
たとえば、肛門に配置された「触覚」が感知した情報は、大脳の「快楽中枢」に入力するような配線が出来上がっているのではないか――などと想像するのですが、これについては、残念ながら、それを裏付けるような文献は発見できませんでした。
決して「少数派」ではないだろうと思います。
指でくすぐったり、その指をちょっとだけ肛門の入り口に潜り込ませる――程度であれば、だれでも、多かれ少なかれ、したりされたりしたことがあるのではないでしょうか?
しかし、中には、そこに性器を挿入しようとしたり、指をその根元近くまで挿入しようとしたり、ディルド(男性器の形をした性具)を挿入しようとしたりする人たちもいます。
何のために……?
もちろん、気持ちがいいから――です。
しかし、ほんとに、そこは気持ちがいいのでしょうか?
まずは、そのあたりから「真相」を究明してみようと思います。

ご存じのとおり、「肛門」は「排便」のための器官です。
エッチのために作られた器官ではありませんから、そこに快感のための仕組みが備わっているとは思えないのですが、ただ、そこは、神経が集中している場所でもあります。
便がちゃんと排泄されているか? それは、硬いか、軟らかいか? どれくらいの量が出たか?――などを感知するためのセンサーが、密に配置されています。
あ、いま、便の中にスイカの種が混じってた――なんてことも、ちゃんと感知できるわけですね。優秀っちゃあ、優秀。敏感っちゃあ、敏感なヤツです。
敏感なので、そこを指先などサワッ……と撫でられたりすると、筆者などは背中がゾクッ……となります。
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ただ、「排便」と「快楽」の関係については、精神分析学的な指摘はあります。
その関連性を指摘したのは、精神分析学の開祖、ジグムンド・フロイトです。
フロイトによれば、人にはだれにも、性的欲求の充足を肛門に求める《肛門期》と呼ばれる時期があります。
この《肛門期》は、唇の充足を強く求める《口唇期=0~2歳》の後、ペニスの充足にこだわるようになる《男根期=5~6歳》の前、年齢で言うと3~4歳の頃にやって来ます。
この段階の子どもは、より強い排便の快感を得るために、わざと便をガマンして、多量の便を排出しようとすることもあるのだそうです。つまり、ガマンしては、それを解放する――その快感に病みつきになったりするわけですね。
これ、何かに似ていると思いませんか?
そうです、「SM」です。自我の発達がこの段階でとどまれば、おとなになってもその快感が忘れられず、《SM指向》の強いSEXを好むようになると言われています。
肛門を責められることを好む人には、多かれ少なかれ、マゾ的傾向が、
そこを責めることを好む人には、サド的傾向が潜んでいる。
そう言って差し支えないかと思います。
しかし、人が「肛門性交=アナル・セックス」に走る理由には、もっと別の要素も含まれています。それは、社会的・宗教的理由です。

ご存じだろうと思いますが、キリスト教の世界、特にカトリックの世界では、中絶が禁じられています。
SEXはしたい。しかし、妊娠させるわけにはいかない。
そこで、妊娠の危険性のある「ヴァギナ」の「代用品」として、「アヌス(肛門)」を使うSEXが行われるようになったのではないか――という説があります。
ただし、これはあくまで俗説です。
そもそもキリスト教界では、妊娠を目的としない「快楽」としてのSEXそのものを禁じていました(いまでも厳しい教派では禁じています)から、たとえ肛門性交であろうと、「快楽」を目的とする行為である以上、それはタブーな行為ということになります。

特に、男性同士の性愛の場合には、ペニスを挿入する場所が肉体的には存在しませんから、必然的に、「肛門」を「膣の代用品」として使うことになります。
キリスト教が普及する以前の、ギリシャ時代・ローマ時代には、男性同士の性交はけっこう行われており、その時代には、「アナル・セックス」は、かなり普遍的なプレーだったようです。
しかし、キリスト教が普及してからは、それらの行為はタブーとされ、イスラムの世界では、男性同士の性愛自体を「ソドミー」と呼んで、厳しく戒めました。
ちなみにアメリカ合衆国にも、2003年に「違憲判決」が出るまでは、すべての州に「ソドミー法」という法律が存在しました。これは、「肛門性交」そのものを禁じる法律で、その目的は、「同性愛の禁止」でした。
ところで、日本はどうだったのか?
実は、「同性愛」と「肛門性交」に関して、世界でもっとも寛容だったのは、日本ではないか――と言われているんですね。

日本には、古くから「少年愛」の伝統がありました。
僧侶や武将が「稚児」を「男色」の相手とする――という風習は、すでに、奈良・平安時代から存在しました。
「稚児」というのは、公家や武家の屋敷、寺院などに召使として抱えられる男児のことで、それらの男児は、しばしば、主人の性的行為の対象として扱われたと言われており、 織田信長と森蘭丸の関係も、そういうものではなかったか――と思われています。
天台宗などには、僧と稚児の初夜の直前に行われる「稚児灌頂(ちごかんじょう)」という儀式があったとされています。「灌頂」とは、頭から水を注いで仏と縁を結ぶ儀式。この灌頂を受けた稚児は観音菩薩の化身とされ、僧はそれを受けた稚児とのみ、性交が許されていました。
こうした「男色」の中では、少年の「肛門」は、しばしば「性器」として扱われました。江戸時代には、この行為に伴う痛みを緩和するために、「痛和散」などという潤滑剤まで市販されていたと言いますから、日本は「アナル・セックス」先進国だったのかもしれません。
明治になると、西洋文化の影響を受けて、こうした行為を「鶏姦罪」として禁止しましたが、その法律も、すぐに廃止されてしまいました。禁止するほど盛んに行われていたということであり、それを廃止せざるを得ないほど、ニーズが高かった――という見方もできるかと思います。
ちなみに筆者も、紅顔の青年であった頃には、「オイ、ケツ貸せ」なんぞとおぞましい言葉を浴びせられたことがありました。「ケツ貸せ」は、男子校とか軍隊などという「男ばかりの世界」では、常套句のように飛び交う言葉です。もちろん、筆者は、一度もお貸ししたことはありませんがね。
さて、この「アナル・セックス」、最近では、通常の男女のカップルの間でも、プレーのひとつとして用いられるようになりました。
それには、別の理由があるのですが、そのことについては、次回、お話したいと思います。


2012年11月リリース
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