「してやった」は「心の負債」を溜めるだけ

人の心を貧しくしてしまう言葉。その代表格が、
「してやった」というひと言だろう――と、私は思っています。
しかし、人はつい、この言葉を思い浮かべてしまいます。
「あれも、これもしてやった」⇒「それなのに…」と続くのですが、
この言葉、浮かべば浮かぶほど、心には負債が溜まって……。
「してやった」というひと言だろう――と、私は思っています。
しかし、人はつい、この言葉を思い浮かべてしまいます。
「あれも、これもしてやった」⇒「それなのに…」と続くのですが、
この言葉、浮かべば浮かぶほど、心には負債が溜まって……。
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みなさんは、心の中でこんな言葉を口にしたこと、ありませんか?
今回、取り上げるのは、ここに登場する「してやった」という言葉です。
もし、あなたの心の中に、この「してやった」という気持ちが棲んでいると、そういう心は、けっして「平安」を得ることはできない――という話をしてみようと思います。
なぜか?
「してやった」という心は、常に、「報酬」を求めるからです。
「報酬」と言っても、別に、金銭や物品を要求するわけではありませんよ。
求めるのは、「感謝」という報酬です。
私は、人に「感謝」を求める心ほど、あさましいものはない――と思っています。
もちろん、感謝されることはうれしいんですよ。しかし、それは、何かをしたことの結果として、思いもかけず返ってくるものであって、期待するものではない。
私は、そう思っています。
ところが、「してやった」を口にする人たちは、その「期待してはいけないもの」を期待してしまうんですね。
そして、その期待が裏切られてしまうと、口の中で、あるいはあからさまに口に出して、こう言います。

こういう心は、たぶん、救われない。
100年生きても、1000年生きても、救われない。
私は、そう思っています。

なぜ、救われないか?
「してやった」と言わせる心が期待する「感謝」は、本人が期待するほどには返ってこないからです。
期待するから返ってこない――と言ってもいいかもしれません。
期待したものが返ってこないと、期待した人の心の中には、「あんなにしてやったのに」という「負の感情」が溜まります。実は、この「負の感情」がやっかいなのです。
「楽しかった」「うれしかった」「感動した」などという「正の感情」は、その感情が芽生えた時点で清算されていますから、後を引きません。
しかし、「負の感情」は、そうたやすくは消えません。「感謝してもらわなかった」という「未清算」の感情ですから、然るべき「報酬」が得られるまでは、溜まる一方です。
溜まった「負の感情」は、やがて臨界点に達し、一気に噴き出してしまいます。

こないだなんて、▽▽までしてあげた。なのに、あなたは……。
こんな言葉を浴びせて、親しい人間に破局を告げる――なんてこともあるかもしれません。
最後には、こういう言葉を浴びせる相手が、「みんな」に変わってしまうかもしれません。
これで、「心豊かな人生であった」と言えるでしょうか?
私は、「NO」だと思います。
「してやった」と思う心が溜め込むのは、清算されないまま積み増されていく「負の感情」ばかり。こうして心に溜まっていく「負の資産」は「負債」となって、人生のお荷物となってしまいます。
私は、こういう人生は、まっぴらごめんです。

もし、人のために何かをするのであれば、「してあげている」という意識もないままにするべき――と、私は思っています。
そういう好意を、「無償の好意」と言います。
「無償」でなければ、「好意」である意味がない、それは「愛」でさえない――と、思います。
転びそうになった子どもに思わず手を差し伸べるとき、かわいい犬の頭を撫でるとき、あなたはいちいち「してやっている」と思って、その行為に及ぶでしょうか?
たぶん、そんな意識もなく、ごく自然に体が動くのではないかと思います。
「無償の好意」というのは、そういうものです。
あなたの右手がしていることを、左手に知らせてはならない。

これは、『聖書』に出てくる言葉。
「自分はいいことをしている」などと意識するな――という教えです。
意識すれば、それは「偽善」になり、意識しなければ「無償の好意」になる。
この境界は、とても重要だと、私は思っています。
そして、「無償の好意」が、ごく自然にできる人は、人から「まぁ、あなたは、なんていいことをしたんでしょう」とホメられても、「いや、私は、何もしてませんよ」という態度をとります。
とぼけているわけではなくて、「してあげた」という意識がないから、何のことを言われているのか、自分でもわからないのです。
雑念の多い私ですが、早く、そういう心境になりたいものだと思います。
なので、極力、この言葉=「してやった」だけは、心の片隅にも浮かばないように、心がけています。
浮かびそうになると、「おっと、いけない」と自分を戒めます。
こういうのは、心の習慣です。
そう思わないようにしようと思っていると、いつの間にか、それが心のありようとして定着しますよ。


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