「女を守れ!」は、「差別」なのか?
世界で「一夫一妻制」がスタンダードになったのは、産業革命以降。その目的は、「労働力の再生産」でした。同時に芽を吹いたのが、「母体は保護せよ!」という運動でした。しかし、そこから起こった「女性保護」の運動は、戦後、大きな転換を迎えます。「女性保護」を「女性差別」と見做す「女性解放運動」が、新たに登場したからです。今回は、そんな「フェミニズム」の流れをまとめてみます――。
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AKI 「女性を守れ!」っていう運動は、近代になって始まったんですね?
哲雄 だいたい18世紀の後半あたりかと思います。実は、この流れには、2つの源流……がありまして。
AKI 18世紀……と申しますと、エーと、日本はまだ……江戸時代?
哲雄 ですね。しかし、その頃、欧州では、産業革命が起こり、市民革命が起こって、貴族たちが支配する封建制から、絶対主義⇒市民社会へと、激しく変貌を遂げている時代でありました。
AKI 「ベルばら」の時代でございますわね。
哲雄 そういう覚え方なわけね?
AKI 何か……?
哲雄 いえ、別に。力をつけた市民階級は、ルイ16世のような絶対君主を打ち倒して、「自由・平等・博愛」なんていうスローガンのもと、市民階級による「共和制」を打ち立てます。
AKI 共和制というのは?
哲雄 国民が選んだ代表が、合議で国の政治を進める体制のことを言い、そういう体制を敷いている国家を「共和国」と言います。
AKI じゃ、民主主義の国は、すべて共和国?
哲雄 いいえ。政治的には民主主義でも、国王とか皇帝という元首が存在する国は、「共和国」とは呼ばれません。「王国」とか「帝国」と呼ばれるわけです。フランスは、フランス革命で「王政」を廃止してしまいましたから、「共和国」ですが、イギリスは「王室」が健在ですから、体制としては「立憲君主制」になり、国としては「王国」と呼ばれます。
AKI ね、ついでにお訊きしておきますけど、日本は?
哲雄 実はね、いまだに定まっていないんです。ご存じのように、日本は「天皇制」を維持してますから、「共和国」ではない。しかし、憲法上、天皇は「象徴」とされてるのですから、これを「元首」と考えるかどうかは、意見が分かれるところです。「元首」でないとすれば、厳密には、「立憲君主制」とも言えないんじゃないか――という声もあります。あ、話が逸れましたね。エーと……。
AKI フランスで共和制が打ち立てられた――っていう話。
哲雄 そうそう。革命によって、それまで君主に押さえつけられていた「人権」を解放しよう――という運動が起こるんだけど、この考え方を進めていくと、婦人の人権も解放せよ――ということになります。ま、当然っちゃ当然だよね。
AKI それが、婦人解放のひとつの流れ?
哲雄 そうです。こちらの運動は、「女性を守れ!」ではなくて、「差別をなくせ」という方向に発展していきます。まず、取り組んだのは、《女性に選挙権を与えよ》という運動でした。
AKI そういう運動、日本でも起こりましたよね?
哲雄 ハイ、平塚雷鳥らが展開した運動がありました。しかし、日本での女性の参政権は、高知県の一部の村で認められたのを除けば(4年後に廃止)、第二次世界大戦が終わるまで、実現されませんでした。
AKI もうひとつの流れは?
哲雄 こちらは、当時の社会の支配層の中から起こりました。「差別をなくせ」ではなく、「女性を保護せよ」という動きで、どちらかというと、慈善運動の一種としての動きでした。
AKI 支配層と言うと……?
哲雄 産業資本家を中心とするブルジョワ層です。
AKI そういう人たちが、どうしてまた「女を保護しろ」とか言い出したのかしら?
哲雄 目的はひとつしかありません。前回もお話しましたが、「次世代の労働力」を確保するため――です。というのもね、産業革命直後のマニュファクチュア(工場制手工業)の中心を占めたのは、紡績、織物などの繊維産業でした。こういう産業では、大量の人手を必要としたのですが、そういう労働を担ったのは、主に女性たちでした。
AKI そうか……。日本でも『女工哀史』なんて本が書かれたような時代ですね?
哲雄 よくご存じで。『女工哀史』はノンフィクションですが、『あゝ野麦峠』は小説。どちらも、当時の女工たちの悲惨な状況を描いたものでした。事情は、欧州でも同じだったんでしょうね。初期の女工たちは、一日12時間を超える過酷な労働に従事させられたりしていて、このままじゃ、次世代の労働力を生み出す母体が保護できない――という危機感が高まりました。
AKI エーッ、一日12時間以上の労働? いまの哲ジイと同じくらい、働いてたんですね?
哲雄 オヤ、ご存じでした?
AKI 知ってますとも。そんなに働いてるのに、食うや食わずの生活。これじゃ、AKBと同じだ――って、嘆いてたじゃありませんか?
哲雄 コホン……。その話は置いておいて……ですね、女性をそんなに酷使しては、労働力の再生産に支障を来す――というので、「保護すべし」の声が高まったわけです。
AKI その声もフランスで……?
哲雄 いいえ。こちらの動きは、最初は、イギリスで起こりました。1802年に「紡績工場法」が成立して、まず、児童労働が規制されました。1844年の法改正では、女子の労働時間を12時間以内に規制し、さらに1847年の改正では、10時間以内に規制されました。
AKI それでも10時間か……フー。
哲雄 やがて、第一次世界大戦が勃発するのですが、その大戦後、1919年に「ILO(国際労働機関)」が設立されて、働く女性の母性保護という観点から、「8時間労働制」が取り決められました。
AKI やっと、8時間労働制になったわけですね。
哲雄 ええ、この8時間労働制は、その後、長い間、世界的なスタンダードとして適用されるようになります。日本はまだ、『野麦峠』の時代でしたけどね。
AKI 1919年かぁ……。それ以降、女性の労働時間は、8時間に規制されてきたわけですね。
哲雄 労働時間もそうですが、深夜労働の禁止とかも、その時代に採用されたルールでした。ところがね、AKIクン。こうして女性を保護しようとしたさまざまな規制が、後の時代には、「女性差別ではないか」とかみつかれることになるわけです。
AKI エッ、そうなんですか? かみついたのは? まさか、おねェマンたちとかじゃないですよね?
哲雄 ときに、キミは、面白い発想をしますねェ。なるほど、ま、おねェたちだったら、「差別だ」と騒ぎかねない。しかし、その前にもっと解決しなくちゃいけない「差別」があるような気がします。
AKI じゃ、だれ? せっかく獲得した労働条件なのに、なぜ反対したりしたのかしら?
哲雄 反対した理由は、それが、女性に対する就職差別や就労差別につながる――と考えたからです。「どうせ女じゃ、残業させられないし」と思われたんじゃ、職場で責任ある立場に就くこともできない。「差別しないでよ」と言い出したわけです。
AKI すごぉ――ィ! 強くなったんですね、女も。じゃ、それを言い出したのは?
哲雄 最初に、フェミニズムの源流には2つの流れがある――と言いましたよね。
AKI あ、そうか。もうひとつの、「女性の権利拡大」を訴えたほうの流れだ?
哲雄 そうです。この、流れは、1960年代になると、「ウーマンズ・リブ」という運動を起こします。この運動は、世の中に存在するさまざまな「女だから」を取り除いて、男女の間のあらゆる「性差別」を取り除こう――という運動を起こすんですね。
AKI 守られたくなんかない――ってわけですね?
哲雄 そのとおり! その結果、何が起こったか? 実は、これって、男女平等、よかった――って、単純に言えるような問題じゃない。実に複雑な問題を生み出すんですね。そこらへんについては、次回以降、じっくり考えてみたいと思います。
AKI ファーイ。では、また次回。それまで生きててね。


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