「明日でいいこと」は「今日しない」主義

「何か、やり残してはいないか?」
そんなことを考え出すと、眠れなくなってしまいます。
そんなときには、発想を転換。
「明日でいいことは、今日はやらない」と決めるのです。
「今日の呪縛」から自由になる、おすすめの方法ですよ。
そんなことを考え出すと、眠れなくなってしまいます。
そんなときには、発想を転換。
「明日でいいことは、今日はやらない」と決めるのです。
「今日の呪縛」から自由になる、おすすめの方法ですよ。
【リンク・キーワード】 メンタル エロ 恋愛観 男の心理 女の心理 官能小説
「今日」をやさしく終わりにしようとするときに、立ち現れる「後悔」という魔物。
前回は、「イヤな自分」という後悔の話をしましたが、「後悔」には、もうひとつ、やっかいなヤツがいます。
それは、「あれも、これも、やらなかった」という後悔です。
この「やり残したこと」が気になり始めると、なかなか眠ることができなくなります。
筆者などは、ガバッとはね起きて、「やっぱり、やっとくか」と机に向かったりするのですが、しかし、もう寝ようか――という状態から仕事に向かっても、大した仕事はできません。ただ、いたずらに脳が疲れるだけです。
なぜ、「やり残したこと」があると、眠れなくなるのか?
ひとつには、「性分」があろうかと思います。「貧乏性」という性分です。
「これだけやったんだから十分」と考えるのではなく、「もっとやれるはずなのに、これだけしかやらなかったなぁ」と考えてしまう性質で、これも筆者は、「悲観主義」の一種だと思っています。
この「悲観」を生んでしまうのは、「××すべきである」というものの考え方ではないか――と、筆者はニラんでいるのですが、さて、この考え方はどこから出てくるのか?
前回は、「イヤな自分」という後悔の話をしましたが、「後悔」には、もうひとつ、やっかいなヤツがいます。
それは、「あれも、これも、やらなかった」という後悔です。
この「やり残したこと」が気になり始めると、なかなか眠ることができなくなります。
筆者などは、ガバッとはね起きて、「やっぱり、やっとくか」と机に向かったりするのですが、しかし、もう寝ようか――という状態から仕事に向かっても、大した仕事はできません。ただ、いたずらに脳が疲れるだけです。
なぜ、「やり残したこと」があると、眠れなくなるのか?
ひとつには、「性分」があろうかと思います。「貧乏性」という性分です。
「これだけやったんだから十分」と考えるのではなく、「もっとやれるはずなのに、これだけしかやらなかったなぁ」と考えてしまう性質で、これも筆者は、「悲観主義」の一種だと思っています。
この「悲観」を生んでしまうのは、「××すべきである」というものの考え方ではないか――と、筆者はニラんでいるのですが、さて、この考え方はどこから出てくるのか?

かつて、筆者が学んだ英語の構文に、こういうのがありました。
Don’t put off till tomorrow what you can do today.
おそらく、中学校の英語の教科書に出てくるおなじみの構文だと思うのですが、直訳すると、こういう意味です。
「今日できることを、明日に伸ばすことなかれ!」

筆者・長住も、どちらかというと、そんなふうに考えるタイプでした。
楽観主義者のくせに、「なすべきこと」に関しては貧乏性で、「今日できること」どころか、「明日でいいこと」も、「2日後でいいこと」も、「今日のうちにすませておこう」と考えてしまうような性質を持っていたんですね。
ところが、こういう性質を「おまえ、それ、止めたほうがいいよ」と忠告してくれた人がいました。その人は、筆者が就職した出版社で先輩だった人。その人が言うんですね。
「そんなふうに考えてると、おまえ、いつも、明日のこと、明日の明日のこと……というふうに追い立てられて、今日を見る余裕がなくなるんじゃないか」
目からウロコでした。
そして、その人は、驚く私にこう言ったのです。
Don’t do today what you can do tomorrow.
直訳すると、こうです。
「明日でいいことは、今日するな!」

オーッ! と開眼した私は、以後、「どうしても今日のうちにしなければならないこと」以外は、「ま、明日でいいか」と思うようになりました。
これで、眠れない夜が、ずいぶん、少なくなりました。

「明日のために、できることは今日のうちにやってしまおう」と考えてしまうのは、ひとつには、前にも申し上げた「貧乏性」ゆえ。その「貧乏性」の背景には、「明日、どうなるかわからないから」という「悲観」が潜んでいる――と申し上げました。
そういう「悲観」があるので、「××すべきである」という義務感が生まれ、その義務を果たせなかった自分を責める気持ちが生まれるのだろうと思うのですが、こうした義務感を生み出すのには、思想的背景も存在します。
筆者・長住が「怪しい」とニラんでいるのは、「禁欲主義」です。
この「禁欲主義」は、19世紀以降は、「勤勉」「節約」「貯蓄」とセットになっています。

そうして得た財貨は、ムダ使いすることなく、しっかり節約して貯蓄せよ!
という思想です。
ヨーロッパでは、ビューリタニズムが、日本では一向宗(浄土真宗)が、人々にこうした価値観を植え付け、欧州ではそれが「資本主義」を生み出す思想的バックボーンとなり、日本でも、近江商人や伊勢商人を生み出す原動力となりました。
こういう価値観を持つ人たちにとっては、「今日できることは今日のうちに」という「ねばならない」は、生活の根幹を成す信条となっていったのではないか――と思われるわけです。
浄土真宗門徒であり、後に、プロテスタントに転向した筆者・長住にも、多かれ少なかれ、そうした信条が染みついていたのかもしれません。
なわけなので、私にとって、この「ねばならない」から自由になるというのは、けっこう、骨の折れる作業でした。
しかし、自由に、なりました!
自由になれたのは、「しょせん、この身は、いつか滅ぶのだから」と悟るにいたったからです。「滅ぶ」ということは、「明日のために」というその「明日」が、いつの日か消えてなくなる――ということです。
だったら、「いま」を大事に、そのありがたみに感謝し、「いまという一瞬」をしっかり享受して生きたほうがいいではないか――と、気づいたからでした。
というわけなので、私はいまでは、平気で、こう考えることができるようになりました。
ま、いいか。
明日でいいことは、明日、考えよう――と。

しかし――です。
「今日の義務感」から解放され、「明日でいいことは、明日、考えればいいじゃないか」と思うようになっても、なおかつ、「明日」が理由で眠れなくなる夜があります。
それは、「明日」が「不安」となって襲いかかってくる夜です。
「どうしよう? 明日のメシ代がない」なんていう深刻な不安もありました。
「明日、返済しないと、あいつらが腎臓、取りに来る」という恐ろしい不安もありました。
そういう「不安」に襲いかかられたら、「明日でいいことは明日にしよう」と、のんびり構えているわけにはいかなくなります。
それでも、眠らなくちゃ――。
そんなときには、脳内環境を変えるしかありません。
前回、ご紹介した右脳のお世話になるしかなくなります。その方法については、次回、お話することにしましょう。


2012年11月リリース
好評! App Storeで上位ランキング中!
iPhone、iPad、アンドロイド端末でダウンロードできます。
★iPhone、iPadでご覧になりたい方は、こちら(iTuneダウンロードページ)から

2012年12月リリース
スマホ用オリジナル書き下ろし! App Storeで好評販売中!
iPhone、iPad、アンドロイド端末でダウンロードできます。
★iPhone、iPadでご覧になりたい方は、こちら(iTuneダウンロードページ)から

管理人は、常に、下記3つの要素を満たすべく、知恵を絞って記事を書いています。
みなさんのポチ反応を見て、喜んだり、反省したり……の日々です。
今後の記事作成の参考としますので、正直な、しかし愛情ある感想ポチを、どうぞよろしくお願いいたします。
→この記事はためになった(FC2 恋愛)
→この記事に共感した(にほんぶろぐ村 恋愛)
→この記事は面白かった(人気ブログランキング 恋愛)
⇒「心の抱き枕」の記事一覧に戻る ⇒トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- 「明日」を「今日」よりまし…にする、ちょっとした方法 (2013/04/21)
- 「明日でいいこと」は「今日しない」主義 (2013/04/12)
- 「イヤな自分」を眠りに就かせる「脳内抱き枕」 (2013/04/04)