父と娘の危ない入浴~近親姦の真実〈2〉

「美談」として語られることもある、父の娘への溺愛。
しかし、その愛が、一歩、境界を踏み越えると…。
性とエッチの《雑学》file.97 R15
このシリーズは真面目に「性」を取り上げるシリーズです。15歳未満の方はご退出ください。
【今回のキーワード】 近親姦 溺愛

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よくTVなどで、男性タレントなどが、こんな発言をしているのを耳にします。
「娘とは、一緒におフロに入ってましたよ。中学生になっても」
中には、「高校生になるまで」と自慢する人もいますし、「一緒に寝ていた」とおっしゃる方もいます。
ご本人は、仲のいい父&娘であった――とアピールするつもりでおっしゃっているのでしょうが、筆者・長住は、いかがなもの? と思います。
前回は、父権を振りかざす父親による「虐待」としての「近親姦」を取り上げました。
しかし、「近親姦」には、もうひとつの側面があります。
それは、「溺愛」という形で現れる近親者間の性的行為です。この性的行為は、必ずしも性器の挿入を伴うわけではありません。中には、「非接触性」と呼ばれる軽度の近親間性行為も含まれます。
それでも、性的感情を伴って、あるいはそういう願望を隠し持って、娘を過度に溺愛すれば、それは境界型の「近親姦」と呼ぶべきであろう――と、長住は思います。
以下、各種の報告書に紹介されたりしている事例の中から、「過度」と思われる溺愛の例を取り上げてみます。
「娘とは、一緒におフロに入ってましたよ。中学生になっても」

中には、「高校生になるまで」と自慢する人もいますし、「一緒に寝ていた」とおっしゃる方もいます。
ご本人は、仲のいい父&娘であった――とアピールするつもりでおっしゃっているのでしょうが、筆者・長住は、いかがなもの? と思います。
前回は、父権を振りかざす父親による「虐待」としての「近親姦」を取り上げました。
しかし、「近親姦」には、もうひとつの側面があります。
それは、「溺愛」という形で現れる近親者間の性的行為です。この性的行為は、必ずしも性器の挿入を伴うわけではありません。中には、「非接触性」と呼ばれる軽度の近親間性行為も含まれます。
それでも、性的感情を伴って、あるいはそういう願望を隠し持って、娘を過度に溺愛すれば、それは境界型の「近親姦」と呼ぶべきであろう――と、長住は思います。
以下、各種の報告書に紹介されたりしている事例の中から、「過度」と思われる溺愛の例を取り上げてみます。

ふつう、幼い娘をおフロに入れてあげるのが、父親の役目なのか、母親の役目なのか――残念ながら、そういうデータは発見することができませんでした。
しかし、娘をフロに入れる時間というのは、母親にとっては食事を準備する時間だったり、その後片付けをする時間だったりして、けっこう忙しい時間。「ねェ、あなた、お願い。○ちゃんをおフロに入れてあげて」と、夫にその役目を依頼する母親も少なくないだろうと思います。
その浴室からは、父と娘の楽しそうな笑い声。しかし、その声の中からこんな声が聞こえてきたら、あなただったらどうするでしょう。





こんな声を聞いて、「うちは開放的な家庭なんだわ。ま、それも初歩の性教育かな」と、ほほえましく感じる人も、あるいはいるかもしれません。
しかし、その母親・Aさんは、そうは思いませんでした。
シチューを作ろうと、ニンジンをカットしていた包丁を放り投げると、Aさんは浴室に駆け寄り、そのドアを開けました。そこで、彼女が目にしたのは――。
娘の小さな手で自分の陰部を洗わせている夫の姿。
そして、夫の男の部分は、幼い娘の手に握られたまま、しっかり反応を見せていました。
Aさんは、娘の体を夫から引き離すと、夫の顔に思いきり平手打ちを食らわせ、以後、夫と娘を入浴させることも、一緒の布団で寝かせることもしなくなりました。
こんな事例もあります。

浴室から聞こえてくる夫の声に、妻が浴室をのぞくと、ソープをまぶした夫の手は、まだ幼い娘の陰部にまで伸ばされていました。
危険を感じたこの妻は、娘を連れて実家に帰り、以後、夫の元に戻ることはありませんでした。
考えすぎだろう――と言う人もいるかもしれません。
もちろん、当の娘には、それがいやらしい行為であるなどと考える判断能力もありません。
しかし、それだからこそ、こういう父親の行動は、その判断能力のなさにつけ込んだ卑劣な行為――というふうに、私の目には映ってしまうのです。

ただの溺愛なのか? それともそれは、近親姦的な「性的かわいがり」なのか?
その境界を見定めることは、むずかしいかもしれません。
しかし、これだけは言えます。まだ、性の意味も理解できない、ただ、父親は自分をかわいがってくれている、としか考えることのできない幼い娘を相手に、過剰とも思える身体的接触を図ったりする行為は、親としての「愛情」の範囲を逸脱しています。
そうした「父と娘の入浴」を、娘の体つきが変わってくる中学生になっても続けている父親も少なくないのだそうですが、娘の身になってみたらどうでしょう?
何の疑いもなく、それが当たり前の行為、ふつうの親子の愛情から生まれるスキンシップだ――と信じ込んだまま、少女からおとなへと成長していく過程で、「それはふつうじゃないよ」と周囲から知らされて、その女性が受ける精神的ショックは、けっして軽微ではないだろうと、筆者は思います。
こういう身体的接触は、娘が成長するにつれて、エスカレートしていくことも考えられます。父親のペニスに興味を持ち、指で触れられることで得られる気持ちよさを経験した娘が、何の疑問もなく父親のペニスを受け入れるようになる場合もあり、中には、父親とそういう親密な関係を結ぶことに、幸福感を感じるケースもある――と報告されています。
本人が幸福感を感じるのであれば、問題ないではないか、という声もあるかもしれませんが、しかし、それで将来、幸福な結婚生活へと進めるか――となると、はなはだ疑問です。
娘が、そういう関係を幸福と感じるようになったとしたら、それは、親の責任と言うべきでしょう。何も判断できないうちから、娘にそんな幸福感を刷り込んだとしたら、父親の罪は大きい――と、長住は思います。

これは、信念なのですが、親は、子どもの「自立」を手助けする責任を負っている――と、私は思っています。
ところが、「溺愛」するタイプの親は、自立を助けるどころか、子どもの自立をむしろ妨げようとする行動をとる傾向があります。
たとえ、娘が「パパと一緒におフロに入りたい」と言っても、「もう、大きくなったんだから、ひとりで入りなさい」と指導するのが親なのではないか――と思うのですが、溺愛型の父親は、その権利を自分からは手放そうとしないのですね。
「うちの娘、いまでも一緒にフロに入ってくれるんだよぉ」などと目尻を下げる男を見ると、ショージキ、私は、「バカか、おまえ」と思ってしまいます。
さすがに、フロには一緒に入らないにしても、親離れしない娘を好ましく思う「子離れのできない父親」は、そこらじゅうにいるような気がします。
「大きくなったらパパのお嫁さんになる」と言われて喜ぶ父親も、一種の溺愛型と言っていいかと思います。
しかし、この傾向、何も父親だけではないのですね。
母親と息子の間にも、同様の関係が――。
父権が弱くなったとされる現代では、むしろ、こちらの関係のほうが増えているような気もします。
次回、その母と息子の関係を見てみたいと思います。


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