「ひとりで生きる」より、「シェアして暮らす」
不純愛トーク 第254夜
前回は、「人間らしく死ぬ」ということについて考え、「尊厳死」ということがもっと認められてもいい――という話をしました。しかし、その対極で増えているのが、社会の片隅でだれにも気づかれずに死んでいく「孤独死」。今回は、それを防ぐ方法のひとつとして、住居を「シェア」するという考え方について話してみたいと思います――。
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AKI 前回は、ちょっと微妙な問題についてお話しました。哲ジイは、「延命治療」は望まない、つまり、「尊厳死」を望まれるわけですよね?
哲雄 それも、できるだけ苦しまないで、逝っちゃいたいですね。あら、死んじゃった……みたいな感じで。できれば、美女に囲まれたりしながら……ね。
AKI 極楽往生ってやつですね。眠るように死ぬ――って、だれもが願うことでしょうねェ。それを祈願するためのツアーとかもあるんですよね。でもね、「美女に囲まれて」ってのは、あり得ませんよ、哲ジイの場合。
哲雄 いいもん。それ、デリバリーで頼んじゃうから。
AKI ハッ……?
哲雄 「美女お看取り隊」なんてね。ないか、そんなデリバリー?
AKI ありませんッ!
哲雄 しょうがない。では、ひとり寂しく、孤独死――といきますか。
AKI それですよ、哲ジイ。私がいちばんご心配申し上げてるのはですね……。
哲雄 わかってますよ。気がついたら長住哲雄が白骨化していた――と、そういうことにならないか、と期待してるわけでしょ?
AKI 殴りますよ、もォ。どこの世界に、自分の知人が白骨化することを期待する人間がいますか!
哲雄 なんだ、知人かぁ……。
AKI 何か……?
哲雄 いえ、何でもありません。それでね、その孤独死の問題なんだけど、不肖・長住が、こうしてブログを毎日、更新しているのも、それを防ぐひとつの手立てなのでございますよ。
AKI どういうことでしょう?
哲雄 だって、毎日、更新されてるブログが、2日も3日も放置されていたら、これは何かあったかも……と、親しい人間なら気づいてくれるかもしれないでしょ?
AKI ヘーッ、いたんだぁ、そんな親しい人間が。
哲雄 あのね……ま、いいでしょ。とにかく、ブログの話はともかくとしてです、私、最近、ある考え方が、頭に染み付いて離れないのです。
AKI ホウ、それはまた、どのような……?
哲雄 ズバリ、申し上げましょう。「シェアの思想」とでも言うべきものです。
AKI 「シェーッ」じゃなくて「シェア」。確か……「分かち合う」とかいう意味ですよね? 何を分かち合おうっていうんですか?
哲雄 「住むこと」「暮らすこと」を――です。
AKI エッ、エッ!? てことは、共同生活?
哲雄 部分的に……ですけどね。
AKI 部分的……? エーッ!! 意味がわかんない……??
哲雄 キミは「シェアハウス」とか「ソーシャル・アパートメント」という言葉を、聞いたことがありますか?
AKI 「シェアハウス」っていうのは、あれですよね? 一軒の家を何人かで分け合って暮らすっていうスタイルですよね。いま、連載してる「複婚時代」っていう小説も、シェアハウスが舞台になってるんでしょ?
哲雄 ホウ、よくご存じで。いま風に言うと、「シェアハウス」ですが、昔流に言うと、「下宿屋」ですかね。
AKI 「ソーシャル・アパートメント」のほうは初耳ですが……?
哲雄 こちらは、「シェアハウス」のアパート版と言ったらいいでしょうか。一軒家とかではなくて、アパートですから、部屋数も50とか60とかはあります。ただ、ふつうのアパートや賃貸マンションと違うところは、キッチン、ダイニング、トイレ、バスルーム、リビングなどが居住者の共有スペースになっているところです。個室は、各居住者の寝室とか書斎とか収納スペースとして使うことになるわけですね。
AKI プライベートは守られるけど、ごはんを作ったり、食べたり、トイレを使ったり、おフロに入るときは、共有のスペースを使うしかない。当然、他の居住者とも顔を合わせることになるわけですよね?
哲雄 そうです。いまのところ、こういう「シェアハウス」や「ソーシャル・アパートメント」に入居するのは、若い人たちが多いのですが、最近、ポツポツ……と、介護士を常駐させた高齢者向けの施設も出てきているらしいんです。そうなると、老人ホームとどこが違うの――って話にもなるんだけどね。私は、こういう暮らし方は、もっと世代縦断的でもいいんじゃないか、と思ってるんだよね。
AKI 若者だけ、高齢者だけ――じゃなくて、老いも若きも入り乱れて……ってことですか?
哲雄 そうです。そしてね、こういうライフ・スタイルには、住人同士の間に、隣人に対する関心とか思いやりとかが形成される。これが、たいせつだと思っているんです。何かあったときに助け合うという精神も、こういうスタイルだったら自然に発生するのではないか――ってね。
AKI なるほど、そういう居住スタイルだと、
「○号室の長住さん、最近、顔を見てないけど、もしかしたら死んでるんじゃない?」
とか、気づいてもらえますものね。白骨化しなくてもすむ。よかったじゃないですか、哲ジイ?
哲雄 なんか、いちいち、言うことが癪に障るんだけど……。
AKI いいから、いいから。それが、哲ジイの言う「シェアの思想」なんですね?
哲雄 そういう考え方を、もっと社会的に広げていってはどうか、という思想なんですけどね。日本の社会って、高度成長が始まる1960年代ぐらいまでは、まだ、そういう「シェアのスタイル」が、社会生活の隅々に残っていました。しかし、それからは、家族は核家族化するし、集合住宅もプライバシー重視の作り方になって、人々の暮らしがどんどん「カプセル化」されていきました。
AKI カプセルですか? そう言われればそうかもしれません。いまの最新のマンションなんて、ヘタしたら、隣の人とさえ顔を合わせないような作りになってますものね。
哲雄 セキュリティが重視され、個人情報も保護され……と、そういう意味では安全な暮らしにはなってきているのだろうけど、それって、私に言わせれば、「社会生活」じゃない。分離された個人がいくら保護されても、コミュニティがどんどん失われていく。そんな社会はいびつだと思うんです、この長住は。
AKI おっ、だんだん哲ジイらしくなってきました。で、天涯孤独の哲ジイとしては、ゆくゆくは、そういう「シェアハウス」なり「ソーシャル・アパートメント」に住んで、できれば、隣の若いおねェちゃんとも仲よくなったりして……と、そういうことを妄想してるわけだ?
哲雄 ま、それもなくはない……てか、若い人たちと意見を交流させることも、おたがいにわるいことじゃないと思うんですよ。さらにね……。
AKI もっと大きなことを考えてるんですね?
哲雄 ハイ。たとえば、いま、全国では、高度成長期に作られたマンモス団地などが、居住者の高齢化などによって、どんどん機能停止に陥ってる。このまま行くと、全国各地に巨大なゴースト・タウンが出現してしまうことになる。こういうマンモス団地などは、いまのうちに、「シェア」機能を持ったコミュニティ型の集合住宅へと、リメイクしていってはどうか――と思うんです。
AKI なるほど、それ、いいかもしれませんね。そういうところに、若い人も、高齢者も住めるような仕組みを作っちゃうわけですね。
哲雄 そうです。「ソーシャル・アパートメント」なんかよりは、もう少し、プライベートな居住空間を充実させて、ただ、みんなが共通して使える共有空間もしっかり確保する。たとえば、共働きの若い夫婦のために共有の育児・保育スペースを作って、そこでは、すでに会社などをリタイアしたけど、まだ十分に働ける高齢者が、子どもたちの世話をする――とかね。
AKI 洗濯場とか、炊事場とかも、共有にしていいんじゃないですか?
哲雄 共有の食堂も作って、たとえば、ご飯を作るひまのない共働き夫婦には、ジジ・ババが「おうちご飯」を提供する……とかのプランもあるんでございますよ。
AKI あ、それ、いい。私、使っちゃいます。
哲雄 ま、そんなことも考えられる――って話ですね。
AKI 哲ジイ、ぜひ、やってみてくださいよ。
哲雄 私が……? それ、ムリ! 金ないもの。自治体や国が率先して、そういうコミュニティ作りに乗り出してはいかが――と、本日は、そういう話でした。
AKI ハイ。哲ジイの孤独死を防ぐためにも、野田さん、ぜひ、前向きにご検討を。

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