「人間らしく死ぬ権利」について
不純愛トーク 第253夜
前回は、日本の少子高齢化につけるクスリとして、「ゆるやかな多民族化」を提案しましたが、今回は、高齢者のライフ・クオリティの問題。はたして、「長寿」そのものに意味があるのかを考え、「尊厳死」や「安楽死」の問題にも踏み込んでみます。ちなみに管理人・長住は、「尊厳死」を望んでいるのですが――。
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AKI みなさ~ん。このジイさまは、日本を「多民族化」せよ! なんて言ってますけど、そのネライは、実は、金髪の嫁をもらいたい――だったりするんですよ。気をつけましょうね。
哲雄 だから、それはジョーダンですって。
AKI 前回は、ベラルーシあたりがいい、とかおっしゃっていたではありませんか。
哲雄 いや、ほんと、ベラルーシの方たちって、色が白いんですよね。透き通るような肌をしていらっしゃる。かつては「白ロシア」と呼ばれていた地域ですからねェ。
AKI ホラ、また夢見るような眼差しになって……。
哲雄 いえいえ、ほんの妄想です。
AKI 勝手に妄想してればいいです。でもね、哲ジイ、ほんと、どうするつもりですか?
哲雄 どうする……とは、何をでしょうか?
AKI 結婚、ですよォ!
哲雄 そんなもの、もうムリに決まってるじゃないですか。そのつもりもないし……。
AKI アレ……? 30年下の嫁を見つけるんじゃありませんでした?
哲雄 ただのリップ・サービスです! それよりも、問題は、この孤独な人生にどう幕を下ろすかということで……。
AKI エッ!! もう、そんなこと考えてるんですか?
哲雄 そりゃ、考えますよ。たとえば、あした、病気になったらどうしよう――とかね。
AKI でもさ、平均寿命から言っても、あと20~30年は生きなきゃなんないんですよ。
哲雄 あっという間だね。私は思うんだよね。日本って、この4半世紀ほど、ずーっと「健康=長寿」をテーマにしてきましたよね。でもね、それって、そんなに価値のあることなのか?
ほんとにみんな、100歳まで生きたい――とか、思ってるんだろうか?
AKI 思わないんですか、哲ジイは?
哲雄 というか、それを目標とはしてないです。少なくとも、人間としての尊厳が保てなくなったら、むしろ、「死ぬ自由」を与えていただきたい――と思ってます。そうそう、昔、『ソイレント・グリーン』という映画がありましてね。
AKI それ、知らない。
哲雄 2022年のニューヨークを舞台にしたSF映画なんだけど、その頃の地球は、大気汚染と気候変動で、極端な食糧不足に陥ってるんですね。いまにして思えば、2022年なんてもうすぐじゃん、と思うんだけど、その頃は遠い未来の話として語られてたんですね。
AKI エッ、その映画が作られたの、いつ頃なんですか?
哲雄 1973年です。主演が、『ベン・ハー』などでおなじみのチャールトン・ヘストン。ま、そんなことはどうでもよくて、そんな状況に置かれた世界に、ソイレント社という食品会社が開発した「ソイレント・グリーン」と呼ばれる食品が出回るんですね。ま、形はクラッカーとかビスケットのようなものなんですが、映画の主人公は、その工場に忍び込んで、材料の正体を突き止めるんですね。それがなんと……。
AKI まさか……ウンコとか?
哲雄 惜しい! もっと恐ろしいものです。なんと、人間の死体そのものなんですね。
AKI エーッ!! それ、怖いッ!
哲雄 で、「ソイレント社」は、その材料を確保するために、安楽死の装置も開発して、もはやこの地上で生きていく希望を失くした人間たちを、次々に施設に送り込んでいく――っていう話。
AKI ワッ、怖すぎます、その話。
哲雄 でしょ? 私も、ぞっとしました。でもね、実際、地球が直面している状況を考えると、なんか、笑い事ではすまされないような気もします。でね、なんで、この話をしたかと言うと、そんな食品を開発してはどうか――という話をしようと思ったわけではなくて、「安楽死」のほうなんですよね。
AKI 哲ジイも、「安楽死」を認めろ、と言いたいわけですか?
哲雄 この問題は、とてもデリケートな問題なので、そう簡単には言いきれません。でも、世界には、治療不可能な患者に対して、医師が「安楽死」に手を貸すことを認めている国もあります。少なくとも、私は思うんですよ。本人も望んでないような延命治療を施して、それでも「生命」を維持しようとする治療行為に、はたして意味があるのか?
AKI でも、そういう治療は、本人の意思で拒むこともできるでしょう?
哲雄 ビミョーです。意思表示することはできますよ。公証役場で「尊厳死宣言公正証書」というものを作成するんですけど、ただ、この証書があるからと言って、治療機関の医師がその意思を尊重してくれるとは限らない。
AKI どうしてですか?
哲雄 あとで責任を問われることを恐れるからだと思います。それとね、これは友人である医師たちと話していて感じたことだけど、「生きている」ということの感じ方が、医師とそうでない一般人とでは、少し違っている気がします。
AKI どういうふうにですか?
哲雄 医師のほうが臓器にこだわる気がします。たとえ、本人が、もう意識もなく、ほとんど人間として生きているとは思えない状態になっても、たとえば、心臓が懸命に血液を送り出そうと動いているとするよね。そうするとたいてい、医師たちはこう言うんだよね。「ホラ、こんなに一生懸命、生きようとしている」って。でも、私はそうは思わないんだよね。それは、臓器が生きてるってだけの話じゃないか――とね。
AKI つまり、哲ジイは、もはや自分の意思で生きようとしてない状態は、「生きている」とは言えないんじゃないか――と、そう思うんですね?
哲雄 ま、そうだね。「人間として尊厳を持って」ということは、そういうことではないかと思ってます。
AKI では、哲ジイは、自分がその「尊厳」を保てなくなったら、死なせてくれ――と、そう要求するんですか、お医者さんには?
哲雄 少なくとも、延命のためだけの治療は施さないでいただきたい――と、そう要求するつもりです。
AKI でも、周りの家族とかは、それでも生かして欲しい、と望むかもしれないじゃないですか?
哲雄 家族、いないし……。
AKI あ、そうか。
哲雄 それにね、こういう言い方をすると、ものすごくヒンシュクを買うかもしれないんだけど……。
AKI もう買ってると思いますから、いいんじゃないですか。
哲雄 ただ、延命のためだけに施す治療というのは、その家族にとっても、そして社会全体としても、かなりな負担になると思うんだよね。そのためのコストがバカにならないと思うんです。そういう負担を、周囲にかけるのは好ましくない――というのが私の人生観ですから、私個人としては、そういう治療は拒否したいと思っています。
AKI たとえばですよ、哲ジイ。あり得ないことかもしれないけど、これから先、哲ジイを心から愛する女性が奇跡のように現れて、息をしていてくれるだけでいい――なんて望んでいることを知ったら、それでも哲ジイは、延命治療などするな、と言いますか?
哲雄 あのさ、AKIクン。そういう話を「仮定の話」として語るのは、ちょっとルール違反だと思います。それに、「奇跡のように」ってのも、気に食わないし。ま、それはいいとして、もしも仮に……です。そういう人が私に現れたら、この問題は、その人と私の関係性の中で語られるべき事柄だと思いますよ。ただ、私だったら、その人には、自分の意思は伝えておくでしょうね。自分は、「植物のように」は生きていたくないと思う――って。それをどう受け止めてくれるかは、相手にまかせるしかないと思ってます。
AKI なるほど、わかりました。では、しかるべく……。
哲雄 エッ、な、何ですか? その……「しかるべく」ってのは?
AKI いや。他にだれも縁者がいなくて、哲ジイがそのような状況に置かれたらですよ、「あ、この人、たしか……延命治療は希望しないとか言ってましたよ」と、証言することにしましょう、ということです。
哲雄 いやに冷たい言い方だね。
AKI ええ、ただの通りすがりの者ですから。

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