「神」を「インスタント化」した、明治の長州人
不純愛トーク 第245夜
前回は、明治を作った薩摩と長州の「差別意識」と「エリート意識」が、日本の近代に大きな影を落としている、という話をしました。今回は、その続き。このエリートたちは、日本人の伝統的な「神」の概念を作り変えようとした、という話をご紹介します――。
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AKI 明治を作った薩摩と長州のエリートたちは、日本を「一神教」の国に作り変えようとした。前回は、そんな話でしたね。
哲雄 そのために、仏を殺し、鎮守の森などに祭られた古くからの神々を葬り去ろうとしました。でもね、それだけじゃなかったんです。「新しい神」も創り出してしまったんです。
AKI 新しい神……?
哲雄 AKIクンは、「英霊」という言葉を聞いたことがありますか?
AKI ハイ。あれでしょ? 戦争で亡くなった人たちは「靖国」に祭られて「英霊」になるって言われてたんですよね?
哲雄 軍人はね。
AKI エッ、軍人だけなの?
哲雄 ハイ、軍人だけです。その「英霊」という概念そのものが、実は、彼らの発明品だったんです。
AKI そうなんですか? 江戸時代とか、鎌倉時代とか、平安時代とかにはなかったんですか?
哲雄 ありませんでした。「英霊」っていうのは、天皇のために闘って命を落とした者は、即、「英霊」として天子さまに顕彰される――として、当時の軍部などがでっち上げたアイテムだったんだよね。
AKI 顕彰……?
哲雄 「慰霊」じゃなくて、「顕彰」。「顕彰」というのは、「おまえ、よくやった」と誉めて表彰することなんだよね。その「英霊」を祭っているのが、東京の「靖国神社」。その「靖国神社」が別格官幣大社となったときの祭文には、こう記されています(口語訳)。
《明治元年から今日に至るまで、
天皇が内外の野蛮な敵をこらしめ、服従させてきた際に、
おまえたちが忠誠心を持って家を忘れ、身を投げ打って名誉の戦死を遂げた、
その高い勲功によって大皇国を統治できるのだと思し召したので、
これから後、永遠に祭祀することにする》
天皇が内外の野蛮な敵をこらしめ、服従させてきた際に、
おまえたちが忠誠心を持って家を忘れ、身を投げ打って名誉の戦死を遂げた、
その高い勲功によって大皇国を統治できるのだと思し召したので、
これから後、永遠に祭祀することにする》
どこを見ても、慰霊の「慰」の字もないでしょ? ただ、「よくやった」とホメてるだけ。
AKI 誉めてるのは、天皇?
哲雄 そう書いてあるけど、もちろん、実際に明治天皇がそんなことを言ったわけではないと思いますよ。つまり、これは、当時の軍部の作文。だいたいね、日本の伝統的な神道の考え方からして、「英霊」なんていう概念が出てくるわけがない。
AKI そうなんですか?
哲雄 前にも申し上げたと思いますが、日本人はずっと、「死」は「穢れ」というふうに考えてきました。死者の霊は、死んだ直後は「生霊(いきりょう)」と考えられ、そういう「霊」は、たいへん危険なものだし、まだ「穢れ」をまとっているので、うかつに触れると「穢れが伝染る」=「触穢(しょくえ)」と考えられていました。その「穢れ」は、何十年という長い時間をかけて「浄化」され、やっと「和御霊(にぎみたま)」となり、祖先の霊と一緒になる、とされていたんです。ところがね、当時の軍部を中心とした指導者層には、そんな悠長なことは言ってられない事情がありました。
AKI どんな事情です?
哲雄 日本は当時、徴兵制度が敷かれて間もない時期でした。貴重な働き手を兵隊に取られてしまう農家などからは、不満の声が上がっていました。そこへ、日清戦争が勃発して、大量の戦死者を出してしまいます。このままだと、国民の士気は上がらない。そこで、当時の軍部をはじめとする指導部は、「ウルトラC」を編み出した。
AKI その「ウルトラC」が「英霊」?
哲雄 前回もお話しましたが、明治のエリートたちは、《日本は「神」である天皇が支配する「神の国」である》というイデオロギーを作り上げて、それを国民に浸透させようとしました。国民は「天皇の赤子」であり、赤子である国民は、求められれば喜んで、その命を天皇のために差し出すのだ――という思想を、徹底的に国民に刷り込もうとしました。その仕上げに編み出されたのが、天皇のために戦って死んだ者は、即刻、「神」になる――という「新しい宗教」でした。
AKI なぜ、「即刻」なんですか?
哲雄 それまでの古い神道のように、「神」になるのに20年も30年もかかる、という教えでは、兵隊の補充が、次の戦争までに間に合わないからです。なので、「戦死すれば即、神になる」という教義にした。宗教学者の中には、「神をファースト・フード化した」と評した人もいましたが、言い得て妙だと思います。
AKI まるで、国家が作った「新興宗教」みたいですね?
哲雄 うまいことをおっしゃる。そうです。「国家神道」というのは、国家が作った「新興宗教」と言っていいと思います。その中心的存在となったのが、「靖国神社」だったわけですが、「靖国神社」となったのは1879年のことで、それまでは「東京招魂社」という、あくまで、陸軍内に設けられた祭事施設でした。
AKI 「招魂」っていうことは、「魂を招く」場所だったわけですか?
哲雄 「招魂社」の起こりは、山口県の現下関市内にあった「櫻山招魂場」という施設でした。
AKI それは、何をする場所だったんですか?
哲雄 元々は、陰陽道にのっとって、「招魂祭」をとり行う施設でした。「招魂祭」とは、死者の霊を招く儀式なんですが、死者は「鎮める」というのが日本古来の考え方ですから、王朝時代には禁止されていました。この「招魂社」が明治になって各地に作られるようになり、「東京招魂社」が「靖国神社」になってからは、各地の「招魂社」は「護国神社」と名前を変えて、軍国イデオロギーの象徴として機能していくようになります。
AKI 中には、「英霊」になんかなりたくなかった人もいたでしょうね?
哲雄 いました。「靖国神社」には、「英霊」となった御霊が合祀されているのですが、その中には、当然のことながら、仏教徒もいれば、クリスチャンもいます。そして、これが大きいのですが、大戦中に日本軍人として徴用された韓国籍や台湾籍の人たちも含まれています。そういう人たちの中からは、戦後、「靖国神社の合祀リストから、自分の親や子どもを外してくれ」という要求が出されました。
AKI 外してもらえたんですか?
哲雄 神社側は、いまだにこの要求に応じていません。「合祀は天皇の命令によるものなのだから、勝手に名簿から外すわけにはいかない」というのがその理屈なんですよね。自分たちにメチャクチャな命令を下して死に追いやったA級戦犯を含む軍事指導者たちと、その犠牲となった人たちが、いまだに一緒に祭られているわけです。
AKI 不快に感じる人たちもいるでしょうね?
哲雄 特に、戦中、日本軍人として徴用された外国籍の人たちの怒りは、尋常ではないだろうと想像できます。異国の神=天皇のために闘え、と命じられて突撃させられ、死んだら、自分たちにそんな死を命じた異国の地に「神」として祭られてるわけですからね。私だったら、ジョーダンじゃないぜ、と思うだろうと思います。しかもね、戦時中の軍部は、この「護国神社」を韓国や台湾にも建設して、これを「参拝しなさい」と強制しました。こんなこと、あのナチス・ドイツでもしなかった。
AKI 思い上がってますよね、当時の戦争指導者たちは?
哲雄 ハイ、そう思います。その思い上がりこそ、当時の薩長、特に長州人の「思い上がり」ではないかと、私は思っています。なにしろ、いまだに外国人を「毛唐(けとう)」と呼んだりする人たちがいるくらいですから。
AKI 首相の靖国参拝とかが、いつも問題になるのも、この神社がただの慰霊施設ではないからなんですね?
哲雄 そうです。「靖国神社」は、私たち日本人の伝統的死生観からしてもおかしな存在なのですが、そんなことをご存じもない小泉元首相などは、元旦に靖国参拝をして、「初詣という言葉があるように、日本の伝統じゃないですか」と、平然とコメントして、宗教的無知をさらけ出してしまいました。
AKI ちっとも、伝統なんかじゃないじゃないか――と。哲ジイは、そう言いたいわけですね?
哲雄 伝統じゃないどころか、伝統をブチ壊した存在だと思ってます。なぜ、皇室が、戦後一度も、靖国神社を参拝していないのか? 少なくとも、「伝統」をご存じない政治家のみなさんには、そこらへんをきっちりと学習し、感じ取っていただきたいものです。
AKI さて、薩長のエリート意識という話から、話は靖国神社問題にまで発展してしまいましたが……。
哲雄 「県民性」と「愛のかたち」について、かなり延々と話をしてしまいましたね。元々は、結婚制度の話をしていたわけですが、次回からは、話を元に戻すことにしましょうか?
AKI フアーイ! みなさん、次回からは、哲ジイ得意の恋バナですよォ~!

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