日本人が「遺骨」にこだわるほんとの理由
不純愛トーク 第230夜
何回かに分けてお届けした「死んだら人はどうなるのか?」シリーズの最終回。死体を野ざらしにしていた日本人が、お墓にこだわり、遺骨にこだわるようになったのはなぜか? そこに潜む日本人の「死生観」の秘密に迫ってみます――。
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AKI ねぇ、哲ジイ。日本で死体を火葬にして弔うようになったのは、いつ頃のことなんです。
哲雄 はっきりとはしていませんが、それまで野ざらしにされていた屍を集めて焼き、供養するということを初めてやったのは、10世紀半ばに現れた遊行僧・空也上人だとされています。
AKI 遊行僧? 遊んでた人?
哲雄 いえいえ。諸国を巡り歩いては、人々を説法して回る僧のことです。で、この上人が、そうして死者を弔えば、浄土に行けるということを説いて回ったんですね。そのあと、人々の間に浄土思想が広まったこともあり、死者を火葬にして埋葬するということが、最初は、上流階級の間に広まり、それから少しずつ民衆の間にも広がっていきました。
AKI それで、死んだら仏教――になっちゃったんだ。
哲雄 いやいや、それは、まだずーっと後世の話。江戸時代になってからのことです。
AKI エーッ!! 江戸時代ですか?
哲雄 江戸幕府によって「檀家制度」が制定されて以降の話ですね。
AKI 檀家制度? 何すか、それ?
哲雄 当時の幕府がキリスト教を禁止してたのは知ってるよね?
AKI ハイ。それで、島原の乱とかが起こったんですよね?
哲雄 でね、幕府は、民衆ひとりひとりに「私はキリシタンではありません」と証明することを求めました。その証明をどうやってやらせたかと言うと、寺に証明書を書かせたわけです。これを「寺請制度」と言うんだけど、そのためには、庶民はみんな、どこかの寺に所属して、住職に証明書を書いてもらわなくちゃならない。こうして、日本人は全員、どこかの寺の檀家になる――という制度が出来上がったわけです。これが、どうもねェ……。
AKI 問題なんですね?
哲雄 日本人の宗教的堕落を生んだ、と私は思ってます。
AKI 宗教的堕落……ですか?
哲雄 特に、仏教を堕落させました。というのもね、幕府が日本人全員に、どこかの寺の檀家になりなさいと強制するわけだから、寺にしてみれば、布教活動とかの努力をしないでも、信者が獲得できる。黙っていても、法事のお布施が入ってくる。つまり、お寺は法事だけやってれば、経営を維持できる。仏教が「葬式仏教」などと言われるようになったのは、この江戸時代に制度化された「檀家制度」のせいだと言ってもいいと思います。
AKI 信教の自由なんてものは、なかったのですね?
哲雄 ない、ない。江戸時代には、新しい宗派の設立は禁止されてましたし、たとえば、だれかが、「うちは法華は止めて念仏にする」などと言っても、「宗旨人別帳」が作られてるわけだから、容易じゃない。檀家と檀那寺(菩提寺)の関係は、こうして固定され、お墓も、その家の檀那寺の境内に作るようになっていったんですね。
AKI 骨はどうしたんですか?
哲雄 お骨は、寺院の墓地に納めて、家には仏壇と位牌だけを置く、というのが、この頃から習慣となりました。
AKI もう、その頃になると、お骨をそこらにぶちまけるっていうわけにはいかなくなったんですね?
哲雄 いかなくなりましたね。しかし、元々の仏教の考え方から言うと、お骨なんてものには、大して意味がないはずなんですよね。
AKI そ、そうなんですか?
哲雄 インドでも、遺体は火葬に付しますが、遺骨は、ガンジス川に流してしまいます。遺骨を寺に納めるなんていうのは、日本だけの風習と言っていいでしょうね。
AKI そう言えば、日本人って、ものすごく、骨にこだわりますよね。どうして?
哲雄 「骨まで愛して」の民族だから。
AKI ウソでしょ?
哲雄 ハイ、ウソです。実はね、この骨にこだわるという考え方は、仏教ではなくて、日本古来の神道的な考え方なんじゃないか――と、私は思います。骨は、日本人の死生観の中では、「拠代(よりしろ)」と考えられているんですね。
AKI 拠代……? 何ですか、それ?
哲雄 「拠代」というのは、霊が乗り移ってくるものとか場所という意味なんです。たとえば、どこかに落雷があったとしますね。「雷」は「神鳴り」で、太古の人たちは、それを神様の怒りの現れというふうに考えました。そうやって雷が落ちたりした場所は、神々が人間と交流した場所と考えらたわけです。なので、昔の人はそこに注連縄を張ったりして、「俗界」と区別したわけですね。
AKI そう言えば、注連縄を張った岩とか、大木とかが、あちこちにありますよね。
哲雄 それが「拠代」です。そのうち、この「拠代」は、榊とか鳥居で象徴されるようになるのですが、これが仏教の考え方とミックスされて、「塔婆」が「拠代」と考えられるようになり、やがて、遺骨そのものが「拠代」と考えられるようになったわけです。
AKI 日本人にとっては、「遺骨」は霊が移ってくる大事な「拠代」。だから、大事にするんですね。戦後、60年以上経つのに、いまだに「遺骨拾集団」が戦地に赴いたりするのも、そのせいなんだ。
哲雄 そういうことです。
AKI その骨を、哲ジイは、コンクリートにしておくれ――と言うんですね。
哲雄 ええ、私は、霊が何かに乗り移るなんてことは、ハナから信じておりませんから。
AKI じゃ、ま、うちの花壇にでも撒いて差し上げますですよ。
哲雄 さぞかし、美しい花が咲くことでありましょう。
AKI それは、どうだか……。
哲雄 ところで、この檀家制度は、私たち日本人の恋愛関係にも、深い陰を落としているんですよ。
AKI エッ、恋愛関係にまで……?
哲雄 その話は、次回に。

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