「前世」「来世」って、ほんとにあるの?
不純愛トーク 第226夜
前回からお届けしている「人は死んだらどうなるか?」という話ですが、今回は、「輪廻転生」という考え方についてご紹介します。「前世」がどうの、「来世」がどうの――という話は、インド由来の「輪廻転生」の考え方。仏教の世界では、どうすればそこから逃れられるかを説いていますが、しかし、そこにも、諸説がありまして――。
【今回のキーワード】 輪廻転生 前世 来世
【SEOリンク・キーワード】 エッチ 官能小説 結婚 おひとり様 エロ 不倫
AKI エーと、今回は、「脱毛」……じゃなかった「解脱(げだつ)」の話をするんでしたね。
哲雄 ハイ。ちょっと復習しておくと、仏教の元となったバラモン教の教えでは、人に限らずこの世のあらゆる生あるものは、死んでも、何度も新たな生を受けてこの世に生まれ変わる――ということを繰り返します。これを「輪廻転生(りんねてんしょう)」というのですが、何に生まれ変わるかは、生前の行いによって審判を受け、「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人道」「天道」という「六道(りくどう)」のいずれかが決定される。前回、そこまでお話したんでしたね。ちょっと複雑なので、前回までの話を図にしてみました。

AKI オーッ! こうなってたんですかぁ。
哲雄 大きく作った図を、かなり解像度を下げてUPしましたので、文字がつぶれて読みにくいところもありますが、これが「輪廻転生」の仕組みです。「解脱」しないと、人は、何度でも生まれ変わって、キミのように地獄に堕ちたり、虫や畜生に姿を変えたりして、現世の苦しみを味わうことになるわけですね、ムフフ……。
AKI な、なんで、私が「地獄道」や「畜生道」に堕ちなきゃならんのですか?
哲雄 小さな胸に手を当てて、よ~く、考えなさい。
AKI だから、「小さな」は余計……あ、でも、哲ジイのことを「エロ・ジジィ」とかなじったことはありましたわねェ。
哲雄 そんなのはどうでもいいけど、人のよさそうなジイさまたちに色目使って、「癒し」だの「リラクゼーション」だのと、テキトーな言葉を口にしちゃ、金をふんだくったりしませんでしたか?
AKI そ、それは……私のお仕事でございますから。
哲雄 ま、いいでしょ。いずれ、死んでみればわかることです。
AKI その前に「解脱」しちゃうも~ん。で、その「解脱」なんですけど、そもそもどういうことを言うんですか?
哲雄 「解脱」というのは、この「輪廻転生」のサイクルから離脱することを言いいます。いったん、解脱すれば、「前世」も「来世」もなくなるんですね。
AKI それ、つまんないかもしれない……。
哲雄 ハイハイ、そういう方はどうぞ、何度でも、「畜生道」にでも「地獄道」にでも堕ちて、塗炭の苦しみを味わいなはれ。
AKI それもイヤ! やっぱり解脱するッ! でも、どうすれば、できるんですか、その解脱って?
哲雄 バラモンの教えでは、真理を悟れば解脱できる、と説きました。
AKI 真理……?
哲雄 バラモンの教えでは、宇宙の根本原理を「ブラフマン=梵」と言い、個々に内在するその実体を「アートマン=我」と言います。私たちが目にしたり触れたりする現実世界の出来事や存在は、すべて「我」です。それらはすべてバラバラのメカニズムで動いているように見えるけれども、実は、すべて「梵」という大きくて普遍的な原理の現象形態にすぎない。すなわち、「梵我一如」である――とね。もう少しわかりやすく言うと、「一即多」であり、「多即一」である。この真理を会得したものは、解脱できる――と、バラモン教では説かれました。
AKI あ、それ、私、いつもやってるかも……。イケメンのAさんの体をマッサージするときと、メタボでハゲなBさんの体をマッサージするときじゃ、そりゃ、マッサージのやり方はかなり違うけど、私をマッサージに向かわせる心の根本は、「人を癒したい」という純な動機で、これはだれに向かおうとも変わらない。そして、私は、その純なハートを根本に持っているがゆえに、どんなお客さんの体も心を込めてマッサージすることができるのでア~ル。どォ? ちゃんと「多即一」だし、「一即多」してるでしょ?
哲雄 してる……って。ま、ものすごく、卑近な例で言うと、そういうことにならなくもありませんが……。
AKI やったァ――ッ! 解脱完了!
哲雄 なんか、簡単でいいね、キミって人は。キミの解脱は、バラモン流……というより、バカモン流としときましょうか。
AKI 失礼な。それで、哲ジイ、お釈迦様は何とおっしゃってるんですか?
哲雄 解脱に至るためには、苦の原因となる煩悩を取り除き、「涅槃(ねはん)の境地」に至れ――と説いています。
AKI 「涅槃の境地」ですか? 何、それ?
哲雄 詳しく言い出すとキリがないので、簡単に言っちゃうと、我執を克服して得られる平安な境地のことを言います。では、どうればその境地に至れるかというと、これについては、宗派によって主張がさまざまに異なっていますので、ここですべてを詳しく解説することは止めておきます。ただ、大きな流れだけ言っておくと、悟りを開いて解脱することによって、初めて浄土に行ける――と主張する流れと、念仏を唱えて弥陀の慈悲にすがるだけで浄土へ行ける――と主張する流れがあります。
AKI エーッと、この図で言うと、「解脱コース」と「往生コース」ですね?
哲雄 ハイ。「解脱コース」は、簡単に言うと、《修行⇒悟りを得る⇒解脱⇒浄土》というカリキュラムになっておりまして、そこには「修行」という「自力」が必要になりますから、「自力本願」というふうに呼ばれています。一方、「往生コース」のほうは、《念仏を唱える⇒往生⇒浄土》と比較的簡単なカリキュラムになっております。「修行して悟りを得る」という「自力」が介在しませんから、「他力本願」と呼ばれるんですが、ただね……。
AKI ただ、何でしょう?
哲雄 同じ「他力」でも、浄土宗の場合は、「念仏」がポイント制になっておりまして……。
AKI ポ、ポイント制……?
哲雄 「念仏の行を積めば、往生かなう」と唱えています。つまり、一生懸命念仏を唱えて、ポイントを貯めなさい――というわけですね。なので、まったく「他力」というわけでもない。それに対して、浄土真宗のほうは、「念仏を唱えて弥陀の慈悲にすがったその時点で、往生が決まる」と言っています。こっちは、「自力」はいっさい必要なし。言ってみれば、入会金制というところでしょうか。
AKI 私、ラクなほうがいいです。
哲雄 ま、AKIクンならそうくるでしょうね。
AKI ハイ、質問。
哲雄 まだ、何か……?
AKI 「往生コース」のほうには、「三途の川」とかがないんですけど……?
哲雄 ああ、「三途の川」だの「賽の河原」だのというのは、日本で後からつけ加えられた「俗信」のようなものですから、いずれの宗派であれ、正式な教義の中には、出てこないと思いますよ。
AKI ヘェ、そうなんだ。
哲雄 前回、人が死んでから最後の審判を受けるまでの四十九日間を「中陰」と呼ぶと言いましたよね。この間、死者の魂が彷徨う世界を「冥土」と言うのですが、日本でつけ加えられた俗信では、この四十九日の間に、7日ごとに全部で7回の審判を受ける――という話になります。「三途の川」というのは、1回目の審判を受けた後で渡る川なんですが、1回目の審判で「善人」と判断された者は、橋を通って渡ることができます。
AKI 悪人は?
哲雄 浅瀬を歩いて渡ります。「極悪人」と判断されると、濁流の中を泳いで渡らなくてはならなくなります。でもね、後世になると、この「三途の川」に「渡し舟」があるよ――って話になるんですね。でも、ただじゃない。渡し賃が6文。棺桶に六文銭を入れたりするのは、その慣わしなんですね。
AKI ずいぶん、いろんなディテールが付け加えられたんですね。でも、「往生コース」には、その「三途の川」が出てこないですよね、なぜですか?
哲雄 というか、「往生コース」のほうには、「中陰」そのものがないんです。念仏を唱えた時点で「往生かなう」になっちゃうわけですから、「最後の審判」を待つ必要がない。「浄土」直行便なので、途中の駅は、みんなすっ飛ばしてしまうわけです。
AKI みなさま、本日は「特急・南無号」をご利用いただきまして、まことにありがとうございます。本特急は、浄土直通特急でございます。途中の「三途の川」駅などには停車いたしませんので、ご注意ください。
哲雄 もしもし、お客様。お客様は、「三途の川」でお待ちの方がいらっしゃいますので、反対側ホームの各駅停車をご利用くださいませ。
AKI なんでじゃ!
哲雄 運賃……じゃなくて、信心不足でございます。
AKI ウワーッ、止めろ! 下ろすな――ッ!
哲雄 次回は、「生まれ変わりコース」と「復活コース」の違いについて、お話する予定です。では、バハハーイ!

管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
あなたの押してくださったポイントを見ては、喜んだり、反省したりの日々です。
どうぞ、正直な、しかしちょっぴり愛情のこもった感想ポチをお送りください。よろしくお願いいたします。



→このテーマの記事一覧に戻る →トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- 生まれ変わるか? 復活か?《世界を二分する死生観》 (2012/03/27)
- 「前世」「来世」って、ほんとにあるの? (2012/03/21)
- 私の骨は、「人骨コンクリート」にしておくれ! (2012/03/15)