第23夜☆「遊郭」ができたのは「税金」を徴収するため?
AKI きょうは、「公娼制度」について、お話するんでしたね。「公娼」があるってことは、「私娼」もいたってことですよね?
哲雄 もちろん。ただ、「公娼」もいきなり「公娼」になったわけじゃない。前回、本来は神社に仕えていた巫女の中から、神殿から遊離し、芸能と性的サービスをなりわいとする「遊女」となるものが出てきた、という話をしたよね。
AKI ハイ。義経の彼女、静御前も、そうした遊女の一種、「白拍子」であった、と聞きました。
哲雄 そうして「遊女化」した女たちは、たぶん、初期の段階では、歌や踊りを披露しながら全国を遊行し、行く先々、いろんな町の辻々で、神さまの教えを語ったりしていたんだと思う。出雲阿国なんかも、そうしたグループのひとりだったんだろうと思うんだ。
AKI エッ、出雲阿国って、あの、歌舞伎の創始者だって言われてる出雲阿国の一行も、売春集団だったの?
哲雄 そうみたいだよ。だから、江戸時代になって、女による歌舞伎が規制されて、男が女も演じる「野郎歌舞伎」に変化した。ところが、この歌舞伎役者もまた……。
AKI ま、まさか……。
哲雄 男娼的性質を帯びていた、とされている。ていうか、その時代は多かったからね、男娼もまた。稚児(ちご)趣味とかもあったし。ま、その話は置いといて、こうして遊女化した女たちの中から、だんだん特定の場所に居つくものが出るようになった。どういう場所だと思う?
AKI 都とか……?
哲雄 都もそうだろうけど、もう少し、不特定の人間たちが行き来するところ。
AKI わかった! 港とか宿場町。
哲雄 ピンポーン! たとえば、淀川の水運で栄えた江口なんていう町には、そういう女たちが集まって「遊女の町」として知られるようになったし、各地の宿場町にも、当時、「傀儡女(くぐつめ)」なんて呼ばれた売春婦がたむろするようになった。
AKI それ、いつ頃の話ですか?
哲雄 平安時代には、もうそういう女たちがいたことが、記録されてる。で、ここらへんから、「集娼」と「散娼」とが分化していくんだね。
AKI エッ!? 「集娼」って?
哲雄 一カ所に集まり、定住して売春する女たち。「散娼」のほうは、各地を浮遊しながら、あるいは街角などで声をかけながら売春する女たちなんだけど、どうもこれは、役人たちにとっては具合がわるい。
AKI もしかして、税金とか?
哲雄 オッ、いいカンしてるねェ。AKIちゃん、いい役人になれるよ。
AKI なりたくないですッ! あ、わかった。だから、そういう女たちを1カ所に集めようとしたんだ。
哲雄 そのとおり。室町幕府あたりから、この「集娼化」が図られるようになって、豊臣秀吉の時代になると、大阪の道頓堀川あたりに、日本初の「遊郭」が誕生した。
AKI もしかして、吉原とかも、その産物ですか?
哲雄 吉原は、江戸時代になって、徳川幕府によって設けられたんだけどね。幕府は、こうした「公許」の遊郭を全国に20カ所ぐらい作った。京都の島原とか大阪の新町とか長崎の丸山とかは、みんな、その時代に作られた幕府公認の売春施設だったわけです。これが、日本での「公娼制度」の始まり。
AKI じゃ、それ以外のところでは、売春はご法度だったわけ?
哲雄 建前上はそうなんだけど、幕府のほうも、これを本気で取り締まろうっていう気は、あまりなかったみたいだね。各地の宿場には「飯盛り女」と呼ばれる娼婦を置く宿もあったし、小料理屋などの看板をかかげながら、その裏でこっそりと女たちに商売をやらせるところもあったみたいだよ。そういう、「公許」以外の買収施設のある地域を「岡場所」と呼んでた。
AKI あ、それ、聞いたことある。よく「なんとか捕物帳」とかに出てくるよね。
哲雄 そうそう。どこそこの若旦那は、最近、岡場所に入り浸って……なんて話が出てきたりもする。その岡場所として有名だったのが、東京で言うと、品川・千住・板橋・新宿の四宿。ただ、ここの女郎たちは一応、おかみの許可を得てたから、ちょっと別格。そのほか、有名だったのが、深川とか根津とか湯島とか……。
AKI 吉原とそういう岡場所って、やっぱり格の違いとかがあったわけ?
哲雄 そりゃもう。たとえて言うなら、銀座の高級クラブと歌舞伎町のキャバクラぐらいの違いはあったみたいだよ。深川あたりの安い茶屋なんかでは、ひとつ部屋に何人もの客を詰め込んで、屏風で隔てただけで女たちに相手をさせてたらしいから。
AKI それ、客もイヤだよね。
哲雄 私だったら、絶対イヤ。でも、現代でも、70~80年代に流行ったピンク・サロンなんてのは、考えてみれば似たようなものだったからね。隣り合ったボックスで、ホステスが客に「生フェラ出し放題」みたいなサービスしてて、それをおたがいに見ようと思えば見れる、みたいな。
AKI やけにリアルな描写ですね。
哲雄 いや、聞くところによると……って話で。
AKI で、高級な吉原のほうはどうだったの?
哲雄 こっちのほうは、どちらかと言うと、粋を楽しむ遊び場みたいな感じになっていったみたいだね。娼婦たちにも階級があって、最高位の「太夫(たゆう)」(別名「花魁=おいらん)ともなると、一国の大名であろうと、簡単に「寝る」ってわけにはいかなかったらしいから。
AKI ヘェ、女にも選ぶ権利があったんだ。
哲雄 これは、日本に限らないことなんだけどさ、公娼制度の作られた国では、その「公娼」と「私娼」の格差が、かなりあったように思う。
AKI それは、客の格差でもあったわけですね。
哲雄 おっしゃるとおり。公娼たちと遊ぶ層というのは、日本だと上級武士や大店の経営者っていう、社会的エリートたちで、私娼たちが相手にするのは、下級武士や職人といったブルーカラー。ヨーロッパでも、公娼たちと遊んでいたのは、王侯貴族やその頃から力をつけ始めたブルジョワジー、つまり資本家たちだったんだね。労働者階級なんかは、もっとも劣悪な環境の私娼窟で、「チョンの間」の欲望解消に身をまかせるしかなかった。
AKI それ、病気の巣窟になったりもしますよね。
哲雄 そう。それは実は、国家的にも大問題。特に、欲望解消を私娼たちにゆだねるしかなかった下級兵士たちに病気が蔓延したりしたのでは、国防上も問題がある。
AKI それで、売春を禁止しようとしたわけ?
哲雄 実は、ここから先が、日本とヨーロッパでは、まったく違う。ヨーロッパでは「公娼制度」の廃止運動が起こり、日本では、国家による売春管理が強化された。
AKI エーッ!? それ、どういうこと?
哲雄 続きは、次回に。
哲雄 そうみたいだよ。だから、江戸時代になって、女による歌舞伎が規制されて、男が女も演じる「野郎歌舞伎」に変化した。ところが、この歌舞伎役者もまた……。
AKI ま、まさか……。
哲雄 男娼的性質を帯びていた、とされている。ていうか、その時代は多かったからね、男娼もまた。稚児(ちご)趣味とかもあったし。ま、その話は置いといて、こうして遊女化した女たちの中から、だんだん特定の場所に居つくものが出るようになった。どういう場所だと思う?
AKI 都とか……?
哲雄 都もそうだろうけど、もう少し、不特定の人間たちが行き来するところ。
AKI わかった! 港とか宿場町。
哲雄 ピンポーン! たとえば、淀川の水運で栄えた江口なんていう町には、そういう女たちが集まって「遊女の町」として知られるようになったし、各地の宿場町にも、当時、「傀儡女(くぐつめ)」なんて呼ばれた売春婦がたむろするようになった。
AKI それ、いつ頃の話ですか?
哲雄 平安時代には、もうそういう女たちがいたことが、記録されてる。で、ここらへんから、「集娼」と「散娼」とが分化していくんだね。
AKI エッ!? 「集娼」って?
哲雄 一カ所に集まり、定住して売春する女たち。「散娼」のほうは、各地を浮遊しながら、あるいは街角などで声をかけながら売春する女たちなんだけど、どうもこれは、役人たちにとっては具合がわるい。
AKI もしかして、税金とか?
哲雄 オッ、いいカンしてるねェ。AKIちゃん、いい役人になれるよ。
AKI なりたくないですッ! あ、わかった。だから、そういう女たちを1カ所に集めようとしたんだ。
哲雄 そのとおり。室町幕府あたりから、この「集娼化」が図られるようになって、豊臣秀吉の時代になると、大阪の道頓堀川あたりに、日本初の「遊郭」が誕生した。
AKI もしかして、吉原とかも、その産物ですか?
哲雄 吉原は、江戸時代になって、徳川幕府によって設けられたんだけどね。幕府は、こうした「公許」の遊郭を全国に20カ所ぐらい作った。京都の島原とか大阪の新町とか長崎の丸山とかは、みんな、その時代に作られた幕府公認の売春施設だったわけです。これが、日本での「公娼制度」の始まり。
AKI じゃ、それ以外のところでは、売春はご法度だったわけ?
哲雄 建前上はそうなんだけど、幕府のほうも、これを本気で取り締まろうっていう気は、あまりなかったみたいだね。各地の宿場には「飯盛り女」と呼ばれる娼婦を置く宿もあったし、小料理屋などの看板をかかげながら、その裏でこっそりと女たちに商売をやらせるところもあったみたいだよ。そういう、「公許」以外の買収施設のある地域を「岡場所」と呼んでた。
AKI あ、それ、聞いたことある。よく「なんとか捕物帳」とかに出てくるよね。
哲雄 そうそう。どこそこの若旦那は、最近、岡場所に入り浸って……なんて話が出てきたりもする。その岡場所として有名だったのが、東京で言うと、品川・千住・板橋・新宿の四宿。ただ、ここの女郎たちは一応、おかみの許可を得てたから、ちょっと別格。そのほか、有名だったのが、深川とか根津とか湯島とか……。
AKI 吉原とそういう岡場所って、やっぱり格の違いとかがあったわけ?
哲雄 そりゃもう。たとえて言うなら、銀座の高級クラブと歌舞伎町のキャバクラぐらいの違いはあったみたいだよ。深川あたりの安い茶屋なんかでは、ひとつ部屋に何人もの客を詰め込んで、屏風で隔てただけで女たちに相手をさせてたらしいから。
AKI それ、客もイヤだよね。
哲雄 私だったら、絶対イヤ。でも、現代でも、70~80年代に流行ったピンク・サロンなんてのは、考えてみれば似たようなものだったからね。隣り合ったボックスで、ホステスが客に「生フェラ出し放題」みたいなサービスしてて、それをおたがいに見ようと思えば見れる、みたいな。
AKI やけにリアルな描写ですね。
哲雄 いや、聞くところによると……って話で。
AKI で、高級な吉原のほうはどうだったの?
哲雄 こっちのほうは、どちらかと言うと、粋を楽しむ遊び場みたいな感じになっていったみたいだね。娼婦たちにも階級があって、最高位の「太夫(たゆう)」(別名「花魁=おいらん)ともなると、一国の大名であろうと、簡単に「寝る」ってわけにはいかなかったらしいから。
AKI ヘェ、女にも選ぶ権利があったんだ。
哲雄 これは、日本に限らないことなんだけどさ、公娼制度の作られた国では、その「公娼」と「私娼」の格差が、かなりあったように思う。
AKI それは、客の格差でもあったわけですね。
哲雄 おっしゃるとおり。公娼たちと遊ぶ層というのは、日本だと上級武士や大店の経営者っていう、社会的エリートたちで、私娼たちが相手にするのは、下級武士や職人といったブルーカラー。ヨーロッパでも、公娼たちと遊んでいたのは、王侯貴族やその頃から力をつけ始めたブルジョワジー、つまり資本家たちだったんだね。労働者階級なんかは、もっとも劣悪な環境の私娼窟で、「チョンの間」の欲望解消に身をまかせるしかなかった。
AKI それ、病気の巣窟になったりもしますよね。
哲雄 そう。それは実は、国家的にも大問題。特に、欲望解消を私娼たちにゆだねるしかなかった下級兵士たちに病気が蔓延したりしたのでは、国防上も問題がある。
AKI それで、売春を禁止しようとしたわけ?
哲雄 実は、ここから先が、日本とヨーロッパでは、まったく違う。ヨーロッパでは「公娼制度」の廃止運動が起こり、日本では、国家による売春管理が強化された。
AKI エーッ!? それ、どういうこと?
哲雄 続きは、次回に。
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