自伝的エッセイ「創愛記」〈5〉 最初で最後の折檻

ボクは一度だけ、母親から折檻を
受けたことがある。赤痢が流行る
真夏の昼、ボクは禁止されていた
アイスキャンディーに手を出した。
その頃、街では赤痢が流行っていた。
白い服を着た保健所の職員が、消毒薬の散布機をリヤカーに積んで、町内の下水の側溝やゴミ箱や塀や玄関・勝手口などに、白い粉を撒いていく姿が、あっちの町でもこっちの町でも見られる、そんな時代だった。
おとなたちは、その赤痢の蔓延を恐れていた。外から帰ったら手を洗うこと、生ものは極力、口にしないことなどが、学校でも、地域の町内会でも、各家庭でも、言い交されていた。
しかし、ボクには、どうしても食べてみたいものがあった。
それがアイスキャンディーだった。
家の隣に何でも作る町工場があった。
本業は、クルマの修理工場だったが、キャラメルも作っていて、その甘い香りが家の中にまで漂ってきた。その工場では、夏になると、アイスキャンディーも作っていた。
そのアイスを買ってほしい――と、何度か母親にねだったが、「おなか壊すやろ」「赤痢になるかもしれんけん」と、かたくなに拒まれた。
そうなると、ますます口にしたくなる。
ある日、ボクは、大量のアイスキャンディーが道にぶちまけれられているのを見た。
それは、工場が捨てた作りそこねたキャンディの残骸だった。もう売り物としては出せないので、道にぶちまけたのだろうが、ボクの目には、それは宝の山のようにも見えた。
イチゴ、メロン、そしてミルク……さまざまな色に輝く砕けた氷の塊。それは、禁じられた宝の塊のようでもあった。
ボクは、その「禁じられた宝の山」に手を伸ばした。
白い服を着た保健所の職員が、消毒薬の散布機をリヤカーに積んで、町内の下水の側溝やゴミ箱や塀や玄関・勝手口などに、白い粉を撒いていく姿が、あっちの町でもこっちの町でも見られる、そんな時代だった。
おとなたちは、その赤痢の蔓延を恐れていた。外から帰ったら手を洗うこと、生ものは極力、口にしないことなどが、学校でも、地域の町内会でも、各家庭でも、言い交されていた。
しかし、ボクには、どうしても食べてみたいものがあった。
それがアイスキャンディーだった。
家の隣に何でも作る町工場があった。
本業は、クルマの修理工場だったが、キャラメルも作っていて、その甘い香りが家の中にまで漂ってきた。その工場では、夏になると、アイスキャンディーも作っていた。
そのアイスを買ってほしい――と、何度か母親にねだったが、「おなか壊すやろ」「赤痢になるかもしれんけん」と、かたくなに拒まれた。
そうなると、ますます口にしたくなる。
ある日、ボクは、大量のアイスキャンディーが道にぶちまけれられているのを見た。
それは、工場が捨てた作りそこねたキャンディの残骸だった。もう売り物としては出せないので、道にぶちまけたのだろうが、ボクの目には、それは宝の山のようにも見えた。
イチゴ、メロン、そしてミルク……さまざまな色に輝く砕けた氷の塊。それは、禁じられた宝の塊のようでもあった。
ボクは、その「禁じられた宝の山」に手を伸ばした。