女神の探し物〈5〉 酒乱の君

翠さんには、熱心な固定ファンがついていた。
ファンの中には、ステージの合間に、
「一杯どうぞ」と酒をすすめてくる客もいる。
しかし、その一杯に口をつけると、
翠さんは目がトロンとしてくる。
そんな翠さんの体に手を伸ばしてくる客もいる。
翠さんは、その手を拒まない。「酒乱」だ。
その度に、兄ィと翠さんは修羅場を繰り広げた。
連載 女神の探し物 第5章
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ここまでのあらすじ 翠さんは、ジャズクラブやライブハウスで歌っている歌姫だ。そのダンナ・浅尾龍二は、世間が「総会屋」と呼ぶ右翼の活動家だ。オレはその舎弟として使いっぱしりをやっている。翠さんが毎週、顔を出しているジャズクラブ「メモリー」に、大下博明というピアニストと玉川恵一というベーシストがいる。その3人で出したファーストアルバムが、メジャーに注目され、翠さんにTV出演の話が舞い込んだ。芽生えたメジャー・デビューのチャンス。しかし、その芽をつぶしたのは、龍二兄ィその人だった。「だんなであるあなたが、彼女のチャンスをつぶすのか」とかみついたのは、ベースの「タマちゃん」だった ――
メジャーに進出する機会を失った大下博明トリオは、「メモリー」で週に2回か3回、ハウスバンドとして演奏する他は、それぞれがソロとして、都内のジャズクラブやライブハウスに出演して日銭を稼いでいるようだった。
しかし、その暮らしはラクではないはずだ。
特にタマちゃんは、きついだろうな――と想像できた。ピアノなどと違って、ベースがソロでライブハウスなどに呼ばれることは、あまりない。いつも、だれかの伴奏としてセットで呼ばれる。ピアノやボーカルが、「ベースは〇〇さんがいい」と言ってくれないと、声がかからないこともある。
ギャラだけでは生活できないので、タマちゃんは、人にベースやギターを教えたりして糊口をしのいでいるらしい――と、翠さんから聞いたことがある。
リーダーの大下博明は、最近、体調を壊していると言う。持病である肝硬変が悪化しては入院……を繰り返している。外を歩くときも、杖をつかないと歩けない。
ステッキをつきながらマントを羽織り、ソフトを目深に被って歩く老ピアニスト。その姿には鬼気迫るものがある、と翠さんは言う。
その大下博明が「メモリー」に出演するときには、タマちゃんと翠さんが荷物を持ち、体を支えるようにして、介助役を務めた。それでもピアニスト大下は、鍵盤の前に座ると、哲学者のように顔をしかめ、研ぎ澄まされた音を紡ぎ出す。
その音からムダな音が消えた。極限まで洗練された音が、老ピアニストの指から弾き出されると、まるでそれは、「阿」と息を吐き「吽」と息を吸い込むように、絶妙な響きを聴く者の耳に届けるんだそうだ。
「まるで禅問答のようなピアノなのよ」と翠さんは言う。その呼吸に合わせるのがむずかしいので、シンガーの中には、大下博明のピアノが苦手だという者もいる。ほんとうにジャズをわかって歌える歌手かどうかが、そこで分かれる。
ジャズ・ボーカル、浅尾翠は、その大下博明に「こいつはいいセンスを持っている」と見出され、育てられた「金の卵」だった。
しかし、その暮らしはラクではないはずだ。
特にタマちゃんは、きついだろうな――と想像できた。ピアノなどと違って、ベースがソロでライブハウスなどに呼ばれることは、あまりない。いつも、だれかの伴奏としてセットで呼ばれる。ピアノやボーカルが、「ベースは〇〇さんがいい」と言ってくれないと、声がかからないこともある。
ギャラだけでは生活できないので、タマちゃんは、人にベースやギターを教えたりして糊口をしのいでいるらしい――と、翠さんから聞いたことがある。
リーダーの大下博明は、最近、体調を壊していると言う。持病である肝硬変が悪化しては入院……を繰り返している。外を歩くときも、杖をつかないと歩けない。
ステッキをつきながらマントを羽織り、ソフトを目深に被って歩く老ピアニスト。その姿には鬼気迫るものがある、と翠さんは言う。
その大下博明が「メモリー」に出演するときには、タマちゃんと翠さんが荷物を持ち、体を支えるようにして、介助役を務めた。それでもピアニスト大下は、鍵盤の前に座ると、哲学者のように顔をしかめ、研ぎ澄まされた音を紡ぎ出す。
その音からムダな音が消えた。極限まで洗練された音が、老ピアニストの指から弾き出されると、まるでそれは、「阿」と息を吐き「吽」と息を吸い込むように、絶妙な響きを聴く者の耳に届けるんだそうだ。
「まるで禅問答のようなピアノなのよ」と翠さんは言う。その呼吸に合わせるのがむずかしいので、シンガーの中には、大下博明のピアノが苦手だという者もいる。ほんとうにジャズをわかって歌える歌手かどうかが、そこで分かれる。
ジャズ・ボーカル、浅尾翠は、その大下博明に「こいつはいいセンスを持っている」と見出され、育てられた「金の卵」だった。