そんなことまで覚えていてくれた――に恋心は動く

法則84 そんなことまで覚えていてくれた――に恋心は動く
あなたを恋する相手の胸に刻み込むには、
「記憶力」が重要。「そんなことまで
覚えていてくれた」に、相手は感動するのです。
カレや彼女にあなたの想いを伝えるためには、カレや彼女を他の男たちや女たちから《差別化》して見せる必要がある。その《差別化》の方法として有効なのが、その人のためだけに付け加える「プラスワン」である。
前回は、そんな話をしました。
今回は、その続き。
この《プラスワン》は何でもいいか――というと、そういうものでもありません。
極端な話をすると、酒が飲めない男に、
旅先でおいしそうな地酒を見つけたから、買ってきたの。
なんていう「プラスワン」を差し出しても、あまり喜んではいただけない……どころか、「飲めないオレに、何で地酒なの?」と、不快に思われてしまうかもしれません。
あるいは、ナッツ・アレルギーだという女に、
疲れたでしょ。ハイ、これ、あげる。
と「マカダミアナッツ」なんぞ差し出した日には、「私を殺す気?」と恨まれてしまうかもしれません。
カレ・彼女に、「あなただけへのプラスワン」として差し出すものには、それを差し出せば、「相手が必ず喜ぶ」という確信が必要なのですね。
その確信は、どこから得られるか?
「記憶力」しかありません。
私は、こう思っています。
その人のことをどこまで記憶できるか――は、
その人にどれだけ興味を持っているかによって決まる。
人は、自分のことを細かく記憶していてくれる程度に応じて、
その相手に「好意」を抱く。
その「細かく」とは、どこまで「細かく」でしょうか?

「行状」に関する記憶ではなく「性質」に関する記憶が大事
たとえばその記憶が、
キミ、この前の日曜日も、その前も、家にいなかったよね?
また時計買ったの? 先月も5万円の時計買ったって言ってたよね?
などという「相手の行状」に関する記憶であったり、
○○ちゃん、生理でしょ? 確か、先月も……。
などという、相手が秘密にしておきたい、肉体的・経済的秘密に関する記憶であったり、
あなた、昔、言ったでしょ? 私を映画に連れていくって……。
といった、「相手の誓約・責務」に関する記憶であったりする場合。
こういう記憶の場合、その記憶が細かければ細かいほど、「気持ちわるい」「しつこい」「ねちっこい」などと受け取られてしまう可能性が高いだろうと思われます。
相手に関する「記憶の細かさ」とは、そういうことではありません。
相手自身が「性質として持っているもの」や「事実として起こったこと」に関する記憶。それこそが重要――と、私は確信しています。
代表的なのが、相手の誕生日を記憶する――でしょう。
しかし、相手の誕生日を記憶する程度のことは、だれでもやります。
「きょう、誕生日だよね。おめでとう」ぐらいでは、「覚えててくれたの? ありがとう」と、ものすごく感動してもらえるところまではいかないだろうと思います。
しかし、たとえば――
そう言えば、もうそろそろ、お父さんの1周忌じゃなかった?
などと、その人の心の機微に触れる記念日や出来事を記憶していて、さりげなく言葉をかけてあげたりすると、相手は、「この人は私の心の大事なことを覚えてくれている」と、感動してくれるだろうと思います。
以上は、「出来事に関する記憶」ですが、もっと相手の心に響くのは、「性質に関する記憶」です。
前回は、そんな話をしました。
今回は、その続き。
この《プラスワン》は何でもいいか――というと、そういうものでもありません。
極端な話をすると、酒が飲めない男に、

なんていう「プラスワン」を差し出しても、あまり喜んではいただけない……どころか、「飲めないオレに、何で地酒なの?」と、不快に思われてしまうかもしれません。
あるいは、ナッツ・アレルギーだという女に、

と「マカダミアナッツ」なんぞ差し出した日には、「私を殺す気?」と恨まれてしまうかもしれません。
カレ・彼女に、「あなただけへのプラスワン」として差し出すものには、それを差し出せば、「相手が必ず喜ぶ」という確信が必要なのですね。
その確信は、どこから得られるか?
「記憶力」しかありません。
私は、こう思っています。
その人のことをどこまで記憶できるか――は、
その人にどれだけ興味を持っているかによって決まる。
人は、自分のことを細かく記憶していてくれる程度に応じて、
その相手に「好意」を抱く。
その「細かく」とは、どこまで「細かく」でしょうか?

「行状」に関する記憶ではなく「性質」に関する記憶が大事
たとえばその記憶が、


などという「相手の行状」に関する記憶であったり、

などという、相手が秘密にしておきたい、肉体的・経済的秘密に関する記憶であったり、

といった、「相手の誓約・責務」に関する記憶であったりする場合。
こういう記憶の場合、その記憶が細かければ細かいほど、「気持ちわるい」「しつこい」「ねちっこい」などと受け取られてしまう可能性が高いだろうと思われます。
相手に関する「記憶の細かさ」とは、そういうことではありません。
相手自身が「性質として持っているもの」や「事実として起こったこと」に関する記憶。それこそが重要――と、私は確信しています。
代表的なのが、相手の誕生日を記憶する――でしょう。
しかし、相手の誕生日を記憶する程度のことは、だれでもやります。
「きょう、誕生日だよね。おめでとう」ぐらいでは、「覚えててくれたの? ありがとう」と、ものすごく感動してもらえるところまではいかないだろうと思います。
しかし、たとえば――

などと、その人の心の機微に触れる記念日や出来事を記憶していて、さりげなく言葉をかけてあげたりすると、相手は、「この人は私の心の大事なことを覚えてくれている」と、感動してくれるだろうと思います。
以上は、「出来事に関する記憶」ですが、もっと相手の心に響くのは、「性質に関する記憶」です。