「自分らしさ」って、そんなに大事ですか?

何かと言うと、「自分らしさ」と言い出す人がいます。
そんなに大事なんでしょうか、「自分らしさ」って?
実は、「自分らしさ」なんていい加減なもの。
そんなものにこだわっていると、人生が窮屈になる。
今回は、そんな話をお届けします。
そんなに大事なんでしょうか、「自分らしさ」って?
実は、「自分らしさ」なんていい加減なもの。
そんなものにこだわっていると、人生が窮屈になる。
今回は、そんな話をお届けします。
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「自分らしく生きたい」
そんな言葉を口にする人たちがいます。
ヘーッ、そんなエラい「自分」がいるんだぁ――と、私は、そんな言葉を耳にするたびに、恐れ入ってしまいます。
恐れ入りながら、つい、訊いてみたくなってしまいます。
自分らしさかぁ。それ、どこで見つけたの?
いいなぁ、それ、どこで売ってるの?
たいていは、あきれたような顔をされ、そして、こんな返事が返ってきます。
長住さんには、自分ってないんですか?
さぁ、どうなんだろ?
エッ……ないの?
存在はしてると思うんだけどね、長住哲雄という人間としては…。
これって、自分らしいなぁ……とか、思わないんですか?
考えたこともありません。
じゃ、じゃあ……もしもどこかの面接とかで、自分をPRしてみてくださいなんて言われたら、どうするんですか?
そんなバカな質問をする会社の面接は、受けません!
バ、バカ……ですか?
相当、バカです。
だいたい、話はそこらへんで打ち切りになります。
もしかして、相手をバカにして話してるんじゃないか――と思った人もいるかもしれませんが、「じゃないか」じゃなくて、バカにしてるんです。「バカにしてる」というより、からかってるんですね、「自分らしさ」なんてことを口にするその人を。
そんな言葉を口にする人たちがいます。
ヘーッ、そんなエラい「自分」がいるんだぁ――と、私は、そんな言葉を耳にするたびに、恐れ入ってしまいます。
恐れ入りながら、つい、訊いてみたくなってしまいます。


たいていは、あきれたような顔をされ、そして、こんな返事が返ってきます。










だいたい、話はそこらへんで打ち切りになります。
もしかして、相手をバカにして話してるんじゃないか――と思った人もいるかもしれませんが、「じゃないか」じゃなくて、バカにしてるんです。「バカにしてる」というより、からかってるんですね、「自分らしさ」なんてことを口にするその人を。

独断で申し上げるなら、「自分らしさ」なんていう言葉を口にする人は、ものすごく「自己愛」の強い人だ――と、私は思っています。
よく、「私って、○○な人なの」とか「私って、○○じゃないですかぁ」なんていう話し方をする人がいますが、「自分らしさ」を大事にする人は、つい、そういうしゃべり方をしてしまうんですね。
ところが、この「自分らしさ」ほど、アテにならないものはない。
私は、そう思っています。
もっと大胆に言ってしまうと、そういう人たちが「宝物」のように大事にしている「自分らしさ」なんてものは、あっという間に壊れてしまう。あるいは、壊されてしまいます。
なぜ、壊れてしまうのかというと、それは砂の上に作られた「楼閣」にすぎないからです。だれが、いつ、作ったのかは、ハッキリしません。いろんな人が手を加えたのかもしれないし、何度も何度も、修復に修復を重ねた結果なのかもしれません。
だから、そんなものには何の価値もない――などと言う気は、さらさらありません。
そうして壊しては作り直し、作り直しては壊す。
それが、人が生きていることだ。
と思うからです。
なんだ、やっぱり、「自分らしさ」にこだわってるんじゃないか――という人もいるかもしれませんが、それは違います。
大事なのは、作っては壊し、壊しては作り直す、そのことを恐れないで生きる――ということではないか、と私は思うのです。
どこかでたまたまでき上がったにすぎない「自分らしさ」を、まるでヘアスプレーで固めるように固めてしまって、「これが自分」と固定してしまうのは、たぶん、その勇気がない人のやること。その結果得られる「自分らしさ」という自画像は、決してあなたの人生を豊かにはしてくれないし、あなたの心を恒久的な安寧に導いてもくれないだろう、と思うのです。
なぜなら、その「自分らしさ」という自画像には、絶えず崩壊の危機が伴うから。そういう自画像を拠り所としていると、その人の精神は、この危機に苦しみ続けることになる、と思われるからです。
なので、私は、「自分らしさ」にすがりつこうとする人たちには、「そんなこと、考えないほうがいいよ」とお答えすることにしているわけです。

「自分らしさ」にこだわらないとしたら、いったい、何にこだわるか――ですが、私の考え方は、「何にもこだわらない」です。
ただ、さまざまな外的影響を受けて変化していく「自分」という「いのちの入れ物」を、その千変万化のさまを、楽しんでいるだけの存在――と申し上げたらいいでしょうか。
ここにいる「わたし」という人間は、
少しも「固有のわたし」なんかではなく、
いろんな刺激を受け、影響を受けて変化する
人間活動の「産物」である。
そういうふうに考えると、毎日が楽しくて仕方ありません。
人と会うことも、その相手と論争したり、共感したり、ホレてみたり、逆に嫌悪してみたりすることさえもが、楽しくて仕方がありません。
大事なのは、前にも申し上げましたが、そういう影響を受けていかようにも変性し得る素材としての「自分」、「砂上の楼閣」にも「砂に書いたラブレター」にもなれる砂としての「自分」――そんなマテリアルにすぎない自分を、存在として尊重することだと思います。
では、そういうマテリアルとしての自分は、どんな力を受けて、いかにして変性していくのか? 次回、その話をしてみようと思います。

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