残念ながら、「天国で再会」なんて、できません!
不純愛トーク 第228夜
前々回から取り上げている「人は死んだらどうなるのか?」という問題。今回は、「死者との再会」はあり得るのか、という問題について語ってみます。お釈迦様でも「わからない」と言った死後の世界をネタに、金品を巻き上げようとする「死のビジネス」には、みなさん、くれぐれもご用心を――。
【今回のキーワード】 死のビジネス 墓地ビジネス 死者
【SEOリンク・キーワード】 エッチ 官能小説 結婚 おひとり様 エロ 不倫
AKI ねェ、哲ジイ。よく、言うじゃありませんか。愛する伴侶を亡くした人が、「天国で、また、お会いしましょう」とかって。あれって……。
哲雄 あり得ない。
AKI そんなに簡単に言っちゃうんですか?
哲雄 「天国」ということは、仏教的に言うと、「成仏」して仏の世界に迎えられるってことだよね。「仏」というのは、普遍的な存在ですから、前にも言ったと思いますが、「○○某の霊」なんていう固有名詞がついてるわけではない。キリスト教で言うところの「神の国」も、同じと思っていいと思います。
AKI 死んだら、みんな、そうなっちゃうってことですか?
哲雄 この宇宙の普遍と一体化する。だから、「だれそれの魂」という具体性は失われる。だいたいのまともな宗教では、そう考えられてますね。日本の神道や中国の祖霊信仰では、死んだ人の魂は「祖霊」になると考えられてますけど、この「祖霊」というのも「集合霊」ですから、霊にひとりひとりの名札がついてるわけではない。
AKI そっかあ。じゃ、私が死んで天国に行ったとしても、向こうでバッタリ、哲ジイと再会して、「あら、ご無沙汰してます」「おや、いつ、こちらへ?」「ええ、つい、昨年、男に殺されちゃいまして」「おやおや、それは災難でしたねェ」なんて会話を交わすことはあり得ない――ってことですね?
哲雄 ないでしょうね。100パーセント、ないです!
AKI つまんな~い。
哲雄 つまんないと言うなら、そういうことを考えること自体がつまらない、と言うべきでしょうね。お釈迦さまも言ってますよ。
AKI エッ、何て……?
哲雄 あるとき、マールクンヤという弟子が尋ねます。「人は死んだらどうなるのですか? 死後の世界はあるのですか?」とね。あまりにしつこく尋ねるので、釈迦はこう答えました。「マールクンヤよ、おまえが言っていることは、体に刺さった毒矢を抜く前に、この毒矢を射たのはだれか、その犯人が知りたい、と言っているようなもものだよ。そんなことを言ってたら、犯人がわかる前にその男は死んでしまうだろう」ってね。
AKI エーッ、よくわかんない。つまり、いまは、そんなこと考えずに毒矢を抜くのが先だろう――って? そういうことですか?
哲雄 そうです。死ぬ前に、死んだあとのことを考えてどうする?――ってことだよね。考えてもわからないことを考えても、「いまを生きる」ことには、何の救いにもならない。そんなことは「考えるな」が、お釈迦さまの教えだったわけです。
AKI 考えてもわからない……ですか? 「死後の世界」って、そういうものなんだぁ……。
哲雄 孔子も言ってますよ。
いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや。
いまだに「生きる」ということの意味さえわからないのに、どうして、死んだ後のことまでわかるか? そんなことを考えるのは「妄想」だ、と決めつけてます。エピクロスという古代ギリシャの哲学者は、「死はない」と言い切っています。
AKI 死はない……? だって、死ぬでしょ、人間は?
哲雄 ですよ。だけど、生きている間は、私たちは死んでない。死んでしまったら、もう生きてないわけだから、「死」もわからない。だから、「死」は存在しない。西洋の哲学の基本的な考え方は、いまでも、そうです。だって、考えてごらんなさいよ。犬や猫が、「わたし、死んだらどうなるのかしら?」なんて考えて生きてますか?
AKI 私の実家のネコは、ときどき仏壇に手を合わせてますけど……。
哲雄 それ、単に、お供えの饅頭がほしいだけだったりするんじゃないの?
AKI たぶん、そうだと思います。
哲雄 あらゆる生きものの中で、自分がいつかは死ぬんだ――と考え、そのことに不安を感じながら生きているのは、人間だけなんだよね。だけど、この不安は、いくら「死後」のことを考えたって、拭い去れるものではない。だから、そんなことは考えずに、「いまを生きなさい」。世界宗教と呼ばれている宗教は、すべて、そういうふうに教えています。
AKI でもさ、たとえば仏教だと、お盆に死者の魂が還って来るとか言うじゃありませんか?
哲雄 それは、本来の仏教とは何の関係もない、ただの習俗です。
AKI 習俗……? つまり、迷信……ってことですか?
哲雄 民間に伝承されてきた、民俗的習慣ということです。でもね、お寺もビジネスだから、そういう習俗に乗じてお布施が稼げるなら、無下に否定してしまうのももったいない――てことで、取り入れちゃったんじゃないか。ついでに言っておくと、百か日だとか、3回忌だとか7回忌だとか13回忌なんてのも、全部、仏教とは無縁の単なる習俗。むしろ、中国の民間信仰である「道教」や後の儒教の影響もあるんじゃないかと思います。
AKI ヘーッ、そうなんだ。
哲雄 そういう冠婚葬祭の風習っていうのは、時代を経るに従って、数も種類も増えてきました。韓国の「○○デー」と同じですね。
AKI ま、あれですね。「死」をビジネスにしたがる人たちがいるってことなんですね?
哲雄 「死のビジネス」ですか? AKIクン、たまにいいこと言いますねェ。
AKI エッヘッヘッ……。
哲雄 しかし、「死の不安」は、人間にとっていちばん大きな不安なわけだから、そこにつけこんでビジネスしようという輩が現れるのも、ムリのない話ではあるんだけどさ。
AKI たちのわるいビジネスもありますよね?
哲雄 はい。先祖供養とか、除霊とか……こういう言葉で金品を捲き上げようとする新興宗教。それに、墓地ビジネス。人の不安につけ込むこういうビジネス、間違っても惑わされてはいけませんよ、AKIクン。
AKI ハイ、私はダイジョーブですよ。それより、心配なのは、老い先短い哲ジイのほうで……。
哲雄 フン、ほっといてください。私は、考えてもしょうがないことは考えない主義なのでね。これでも、日々を生き生きと生きておりますんですよ。
AKI 尊いことでございます、南無~ゥ!
哲雄 その「南無~ゥ」はよしなさい。
AKI ところで、哲ジイ、私、昔から不思議に思ってるんですが、なんで、日本では、死ぬと仏教なんでしょう? だって、生まれたときには、神社にお参りするでしょ?
哲雄 そうだね。実に不思議だよね。でもね、「死んだら仏教」っていうのは、実は、江戸時代になってからなんだよ。それまでの、日本の「死」は、ちょっと様子が違っていました。
AKI どんなふうに?
哲雄 それって、話し始めると長くなるので、次回に回したいと思います。
AKI フアーイ。それまで、死なないでくださいね。では、また……。

管理人は常に、下記3つの要素を満たせるように、脳みそに汗をかきながら、記事をしたためています。
あなたの押してくださったポイントを見ては、喜んだり、反省したりの日々です。
どうぞ、正直な、しかしちょっぴり愛情のこもった感想ポチをお送りください。よろしくお願いいたします。



→このテーマの記事一覧に戻る →トップメニューに戻る
- 関連記事
-
- 葬式で「お清めの塩」を渡される理由 (2012/04/10)
- 残念ながら、「天国で再会」なんて、できません! (2012/04/02)
- 生まれ変わるか? 復活か?《世界を二分する死生観》 (2012/03/27)